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連載・特集

自分らしく老いる 被爆者と医師の対話から <プロローグ>

「私たちの心づもり」刊行 有田健一医師 「心の解放」 少しでも

あの日からの人生 耳傾ける

 あの日から73年、老いゆく被爆者たちは、何を望み、これからを過ごしていくのだろう。被爆2世の有田健一医師(69)=広島市中区=が、被爆者115人と重ねた対話の軌跡を著書「私たちの心づもり」にまとめた。もしものときの医療やケアを話し合う「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の一環だ。有田医師は今なぜ、被爆者のACPに力を注ぐのか。その訳を聞くことから、連載を始める。

  ―自身が被爆2世の医師であることが、被爆者との対話のきっかけになったそうですね。
 僕の父は被爆者です。親戚もそう。人のため、社会のために貢献したくて医師になったんだけど、被爆地広島の支援がしたい気持ちもずっとあったんですよ。

 そこに高齢社会がやってきた。被爆者も老いを重ねています。医師としてできるのは、患者の人生観を踏まえ、この先どんな医療を望んでいるかを聞き、希望がかなうよう支えること。4年前から、診察室を訪れる患者で被爆体験のある人の話を、じっくり聞き始めました。広島赤十字・原爆病院(中区)の呼吸器科医だった頃です。日赤を定年退職した3年前からは、原爆養護ホーム「舟入むつみ園」(中区)でACPに取り組んでいます。

  ―この先の医療とは、どういうものでしょう。
 例えば、気管切開をして人工呼吸器を着けるかどうか。胃ろうなどの治療や、急変時の心臓マッサージをするかどうか。本人が語れるうちに話し合っておく。それを文書に書き留めて、もしものときに備えます。

 その取り組みを、ACPと言います。最期の迎え方を決めるようにみられがちですが、そうじゃない。ACPは、老いの人生設計を一緒に考えていくこと。いかに生きていくかということなんです。それには、これまでの人生の歩みにも耳を傾ける必要があります。

  ―その人の今後には、これまでの人生が大きく関わるということですね。
 被爆者は、原爆で当たり前の日常が奪われました。あの日を境に文化、文明から隔絶された。親きょうだいを失った人もいる。体と心も深く傷ついた。選択肢がほとんどない中で、生きることにわずかな希望を持ちつつ、前に進んできた人たちです。そのときの最善の道を自ら判断して。

 一人一人これまで大切にしてきたものがある。それをACPの対話を通して見つめ直し、自分らしく生きる支えにしてほしいんです。

  ―自分らしく、ですか。
 本当の自分に近づくということです。人はとりわけ、人生に大きなダメージを受けて、それでも生きようとしたとき、本当の自分を探そうとするんじゃないか。被爆者は、まさにそうしてきたと思うんです。

 自分らしく生きることを支えるACPは、被爆者だけではなく、超高齢時代を生き抜くすべての人に必要な営みだと僕は思っている。そんな中でね、被爆者のACPは、多くの高齢者のモデルになる可能性がある。本当の意味で自分らしく生きるしかなかった人たちが、老いをどう生きようとするのか。それは私たちの指針になる。それを受け止め、伝えたくて本を書いたんです。

  ―ただ、本音を聞くのは簡単ではないと思います。
 父の場合もそうでした。小学校の教員で、あの日は今の広島東郵便局(南区)で教え子と仕分け作業をしていて被爆しました。背中にガラスがいっぱい刺さった。その体験はよく聞いたけど、94歳で亡くなるまで自分らしく生きてくれたのか。親への遠慮もあってですかね。なかなか本音に迫れなかった。

 どうしても、つらい経験を掘り起こすんじゃないかと気が引けてしまう。心の痛みを共有する覚悟も要る。被爆者の思いは聞いていますが、それが本音なのかどうか、繰り返して話をする中で確かめていくつもりです。信頼関係を紡ぎながら、心の内を吐露してもらいたい。

  ―被爆者の方々に、あらためて呼び掛けたいことはありますか。
 もう遠慮しないでほしいんですよ。いろんな人に支えてもらったという思いがあるからなのか、「迷惑を掛けたくない」という言葉をよく聞きます。

 あの日から73年がたちます。被爆者も人生の円熟期を迎えていますが、被爆の悲しみ、苦しみは消えないと思う。胸のわだかまりを今の心配事と一緒に、心の許せる人に少しずつでも話してもらいたい。話すことで少しでも、心の奥が解放されないかと。

 そばに理解してくれる人がいれば、日々の暮らしは豊かになるんじゃないでしょうか。せっかくここまで生きてきたんじゃから、へこんでもらったんじゃね。もっと元気にね。背中を押したい。

  ―実際、話を聞いてもらってよかった、という方が多いそうですね。
 話し始めると、話さずにいられない感じの人もいました。今後の生き方を語る対話は、最期まで自分らしく老いるという新たな価値観を生む可能性があると思うんです。それが、生きる安心感につながるというか。

 あの原爆という絶対悪によって自分らしく生きることを突然拒否された被爆者が、自分らしく生きる道を探して歩いていくことを支えたい。老いた人が思いやりに満たされて生きる姿は、人が人として大切にされる寛容な社会につながるんじゃないかと思うんですよ。(聞き手は林淳一郎、写真・福井宏史)

ありた・けんいち
 東広島市安芸津町生まれ。広島大大学院医学研究科修了。90年、広島赤十字・原爆病院呼吸器科部長。15年から三原赤十字病院呼吸器内科医、原爆養護ホーム「舟入むつみ園」嘱託医として勤務している。

感想をお寄せください

 老いを重ねる被爆者に寄り添うACPへの感想をお寄せください。超高齢時代に、人生の最終章をどう過ごしたいですか。あなたにとって、自分らしく老いるとはどういうことですか。体験談やご意見をお待ちしています。 メールkurashi@chugoku-np.co.jp ファクス082(291)5828

(2018年7月25日朝刊掲載)

自分らしく生きる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <1>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <2>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <3>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <4>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <5>

自分らしく老いる 被爆者と医師の対話から <エピローグ>

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