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連載・特集

自分らしく老いる 被爆者と医師の対話から <エピローグ>

 被爆2世の有田健一医師(69)=広島市中区=が力を注ぐ、被爆者への「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」。あの日からの歩みに耳を傾け、もしものときに受けたい医療や老いの生き方をともに考えていく。こうした取り組みにどんな意義があり、今後さらに広げていくには何が鍵になるのだろう。被爆地広島でそれぞれの活動に尽力する2人に聞いた。(聞き手は林淳一郎)

広島県被団協(坪井直理事長)副理事長 箕牧智之さん(76)=北広島町

胸の内 聞いてもらいたいことある

 正直なところ、ACPという言葉はよく知りませんでした。でも、医師が被爆者と対話を重ねる試みは、ありがたいと思います。

 あの日から73年がたって、被爆者も超高齢時代を生きとる。これからどう過ごすか。どんなふうに人生を閉じるか。そういう話を私もたびたび聞くんです。

 うちの被団協も、地域を巡って被爆者の相談を受けています。病気の不安や生活の悩みを聞いて回る。この頃は、介護保険の心配事が多いんですよ。だから、市町の福祉担当者にも来てもらっています。

 ただ実のところ、相談に被爆者がたくさん詰め掛けるか、というとそうでもない。80代、90代の人は「はあ、ええよ」「病院に通っとるけえ、それで十分よ」と。相談してもしょうがないと思っているようにも見える。医師が自分の生き方を一緒に考えてくれるACPという選択肢は、多くの高齢者がまだイメージできていないんじゃないか。

 ただ、体はどうしても衰えます。病気になるし、入院や手術をすることだってある。家族も連れ合いがいれば頼りになるけど、どちらかが先に亡くなる。子どもたちも家庭を持って独立していく。じゃあ、どう生きていくか。被爆者だけに限らないけれども、身近にサポートしてくれる人がいてほしい。それぞれの胸の内には聞いてもらいたいことがあるはずです。

 私も父母を亡くし、5年前に妻が他界しました。寝起きやトイレに行くのが難しくなったら、どうしようかなあと。近くに末っ子家族が住んでいるけど、やっぱり気兼ねしますよ。介護施設に入るか、病院かなと考えています。

 そんな悩みや望みを語り合える場がどれだけあるのか。高齢になると、どうしても医療や介護のお世話になる。私たちの健康上の弱みも分かった上で、相談できる人がいれば安心です。

 被爆者には、あの体験を「もう忘れた」とあえて語らない人もいます。でも、自分の命を預けたお医者さんや、そばにいてくれるケアマネジャーさんが親身になって話を聞こうとしてくれたら、打ち明ける人もいるかもしれません。

 被爆者も皆さん、「穏やかに暮らしたい」と願っとるんです。健康で一日一日を送る。今日も無事に終わった、とね。そこに、被爆した私たちの人生を知り、支えてくれるACPというものがあったら。それは心強いと思います。

みまき・としゆき
 東京生まれ。原爆投下後、広島駅に勤めていた父を捜すため、母に連れられて入市被爆した。05年から平和活動に参加。日本被団協代表理事。北広島町原爆被害者の会会長。

広島大名誉教授 鎌田七男さん(81)=広島市西区

本音に迫るため 医療や介護連携を

 有田先生のACPの取り組みを近くで見てきて、非常に意義を感じているんです。被爆者のつらい体験や生きてきた歩みを聞き、体のこともしっかり診る。本音や気持ちを聞いてもらうことで、みんな安心し、勇気も出ると思う。もっと話したいくらいね。

 原爆養護ホーム「舟入むつみ園」(広島市中区)のドクターとして来てほしいと、有田先生に頼んだのは私なんですよ。当時、園を運営する広島原爆被爆者援護事業団の理事長を務めていましたから。

 私も被爆者医療に長く携わってきて、気付いたことが四つあります。精神面ですが、自分だけが生き残った「罪の意識」▽「二度とあのような経験をしたくない」という思い▽病気への「不安」▽亡くなった人に対する「畏敬の念」-です。そして今、もう一つ気になることがあるんです。

 それは、「これ以上、人に迷惑を掛けたくない」という言葉。有田先生と面談した被爆者からも、この言葉がよく出てきます。被爆者は、当時の看病など、いろんな人の世話になってきたという思いが強い。あの日から73年がたち、最期に向き合う年齢になって、遠慮の気持ちが先に立つ。

 その声を受け止め、周りがもっと積極的に支えていく必要があるんじゃないでしょうか。

 医療が進歩し、寿命が延びて、人生をどう締めくくるかをそれぞれが考える時代になった。終末期のみとりが重視されるようになった。ACPは、その前段階の大切な取り組みです。歩んだ人生を振り返り、どんな医療やケアを受けたいか。意思表示できるうちに医師や家族らと語り、希望を伝えておく。

 でもね、どの医師も有田先生のようにできるかというと難しい。むつみ園にいるのは、みんな同じ被爆者だから、心をオープンにしやすい。一方で、ほとんどの被爆者は、社会の中で多くの高齢者のうちの一人として暮らしている。被爆したことをなるべく隠したいし、語りたくないんです。

 こうした中で、どれだけの医師が被爆者の本音に迫れるか。多忙で、話し合う時間をとるのも大変でしょう。それは被爆していない患者に対しても同じです。  ACPを広げるのは、そう簡単ではありません。医師だけではなく、看護師や保健師、ケアマネジャーたちも含めて、医療や介護の現場が連携することが欠かせないと思います。

かまだ・ななお
 鹿児島県生まれ。広島大医学部卒。同大原爆放射能医学研究所長などを務め、被爆者医療や放射線の影響について調査・研究に取り組んだ。17年から三原市の本郷中央病院健診センター長。

(2018年8月1日朝刊掲載)

自分らしく老いる 被爆者と医師の対話から <プロローグ>

自分らしく生きる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <1>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <2>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <3>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <4>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <5>

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