ヒロシマの空白 被爆75年 さまよう資料 <6> 被爆者手帳の申請書
20年4月15日
保存基準なく廃棄も
守るべき「歴史文書」
被爆者健康手帳の交付制度は、被爆者が国から救済されずにいた援護の「空白」を経た1957年、旧原爆医療法に基づいて始まった。紫がかった表紙の小さな冊子。手当を受給したり、無料の健康診断を受けたりするために必要となる。
「原爆が落ちた時の状況はどうでしたか」「落ちた後の行動は」「家族の状況は」…。手帳の交付申請書には、被爆の状況や被爆した家族の名前、死亡日などが記されている。初期は現在よりも簡素だったが、旧原爆特別措置法ができた68年前後から詳細になった。
最も多かった80年度末の手帳の所持者は、全国で約37万2千人に上る。申請書は比類なき原爆資料と言っていい。しかし、保存をめぐる現状はおぼつかない。
手帳の制度は厚生労働省の所管だが、47都道府県と広島、長崎両市が申請書の受理、審査、交付などの業務を国から受託している。長期保存の統一ルールはないという。厚労省被爆者援護対策室の小野雄大室長は「各自治体で公文書保存の考え方は違うため、国が『こうすべきだ』と示したことはない」と話す。
「5年」や「永久」
広島県は、古くなった申請書を県庁舎から県立文書館に移して保管するなどして「永久保存」している。一方で、49自治体すべてに問い合わせると、部分的に廃棄・散逸が進んでいることが分かってきた。
「保存期間が過ぎれば廃棄」と答えたのは2県だった。青森県は、文書管理規定の原則が「5年」。担当課によると、10~15年前までの申請分は一部あるが、既に相当数が失われている。山梨県は「30年で廃棄」。両県は、基本事項だけを書き写した「台帳」を、現行の被爆者援護法の施行規則に基づき残している。
他の自治体は「廃棄していない」との回答だった。ただ、少なくとも7県で「古い文書はない」。群馬県は74年以前の分が、香川県は84年より前の一部が所在不明という。
「将来の扱いは未定」の自治体も複数あった。「30年」を延長させている兵庫県は「県内の被爆者がゼロになり、援護業務がなくなったらどうするか、再検討が必要」。やはり「30年」の神奈川県も同様の見解だ。両県とも、かつて手帳所持者が6千人以上いた。各地にある多数の被爆者関係の文書が、将来は宙に浮くかもしれない。
国の一貫した方針がないまま欠落していく資料。原爆手記を研究する広島女学院大の元教授、宇吹暁さん(73)は「国も地方も、実務で不要になっても紙くずではなく『歴史文書』として保存するべきだ」と警鐘を鳴らす。
手帳の申請書類の廃棄は、原爆被害の実態という「空白」を埋める重要資料の喪失をも意味する。
調査の情報源に
広島の45年末までの原爆犠牲者は「14万人±1万人」と推計されている。市は、犠牲者の名前を積み上げる「動態調査」を地道に続けているが、昨年3月末現在で8万9025人だ。
手帳の申請書は、調査の貴重な「情報源」となっている。ただ、生かされているのは広島市保管分と、広島県の古い書類だけ。県外分はいまだに盛り込めていない。国が重い腰を上げて85年と95年に全国の手帳所持者を対象に死没者調査を行っており、その際得られたデータを反映したにとどまっている。
申請書はさらに、生前に体験手記などを残していない人の被爆状況を知る手掛かりにもなる。本人と一部の家族を除き非開示ではあるが、宇吹さんは「100年後、200年後を見据え、市民が被爆した家族の歴史をたどることができる保存態勢が必要だ」と指摘。広島関係分を国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)に集約させることなどを提案する。
場当たり的でない、歴史と向き合う誠実さを伴った文書管理の姿勢が問われている。(水川恭輔)
(2020年4月15日朝刊掲載)
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