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島病院に犠牲者名簿 爆心地 昨夏発見 41人分記載

 広島原爆がさく裂した直下の「外科 島病院」(現広島市中区大手町)の院長だった島薫さん(1977年に79歳で死去)が書いた患者と医師、看護師らの死没者名簿が残っていることが19日、分かった。「約80人」とされる犠牲者のうち41人分を記している。

 海軍用便箋に被爆から間もない時期に記入したとみられる「島病院戦災記録」。長男一秀さん(85)の妻直子さん(76)が昨夏、自宅で保管する遺品の中から見つけた。

 筆跡は11ページ分で、冒頭に「森田正雄 医師 宿直」「新谷和夫 レントゲン技術員」など4人の連絡先を記す。「宮本イチミ」さんら看護師7人や薫さんの妹夫妻が近くで営む若井小児科の看護師の名前もある。

 「22 胆嚢(たんのう)摘出」「外傷 中野の人」など患者の病室番号や病名のメモ書きも残る。一秀さんは「遺骨も見つからない中、せめて名前を、と父が必死で思い出そうとしたのだろう」と推測する。

 島病院は、薫さんが大阪医科大(現大阪大医学部)を卒業後、ドイツ留学や米国研修を経て33年8月に開院。最先端の外科技術が評判で、約40の病室はいつも満室だったという。

 原爆投下時、薫さんは郊外にいて助かった。負傷者の治療に当たると同時に、病院の焼け跡に消息を尋ねる伝言板を置き、関係者を捜し歩いた。原爆資料館の下村真理学芸員は「記された一人一人の名前を通して原爆の残虐性が伝わる貴重な資料」としている。(桑島美帆)

(2020年7月20日朝刊掲載)

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