×

連載・特集

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <16> 軍縮・平和教育

次世代を育てる種まく

 カナダのトロント市教委に勤務した約20年間、教育行政が責任を持って軍縮・平和教育を根付かせるよう、あらゆる働き掛けをしたと自負しています。1970年代に学校での被爆体験証言を頼まれるようになった時、喜び以上に感じたのは「心ある先生の努力頼みでは、不十分。全ての生徒が核時代に生きる意味をわがこととして学べるよう、制度化しないと」という問題意識でした。

 86年には、私の提案により市内の高校100校を巻き込んで「広島・長崎の意味」をテーマに作文を募集し、最優秀の生徒2人を「平和大使」として広島に派遣。私がつづった被爆の証言は、教科書の副読本にもなりました。2003年には、軍縮・平和の研究を志す大学院生のための奨学金も創設しました。次世代を育てるために種をまき、育てたと思っています。

 トロント市庁舎前に「平和の庭」を造る活動にも全力で携わりました。広島に赴いて平和記念公園の「平和の灯」を分けてもらい、84年にローマ法王が点火。カナダ最大都市の中心で、今も火をともしているのです。私たちが毎年、原爆の日の式典を行う会場でもあります。

  ≪90年ごろには仕事で新たな挑戦も。社会福祉法人「ジャパニーズ・ファミリー・サービス」を設立した≫

 トロントの日系社会は、移民とその子孫、日本企業の駐在員と家族など多様で、日本語しか話せない人もいます。でも、子どもの問題行動や高齢者ケアなどの課題について、日本語で相談に応じる窓口はなかったんです。切実なニーズに応えるため、一念発起しました。

 資金繰りは大変なのに、助成金を申請したら「日系社会はお金持ちでしょ」と言われたり、日本の事情に明るい専門職の確保が難航したり、苦労しました。核兵器廃絶を訴える活動との両立に、死に物狂いでしたね。70歳を前に後継者に運営を託し、一線を退きました。

 国連などでの証言を重ねました。国家の利害が衝突する場で見えてきたのは、保有国は核を減らす気などちっともない、という実態です。怒りを募らせていた頃、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))という団体と出合います。

(2018年8月25日朝刊掲載)

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <17> ICAN

年別アーカイブ