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連載・特集

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <19> 条約交渉会議

「死者も見ている」訴え

 ≪被爆者、そして核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))のキャンペイナー(活動家)として各国代表に行動を迫るその姿は、核兵器禁止条約を追い求める国際世論の象徴になっていった≫

 2017年3月、ついに条約交渉会議が国連本部で始まりました。議場で発言する機会を得て、「72年前に虐殺された数十万人の霊もここで見ている。彼らの死は無駄でなかったと思えるような交渉をしてほしい」と各国代表に語り掛けました。

 仏教的な感覚を理解してもらえるかな、という不安もありましたが、外交官たちが「心を動かされた。ありがとう」と駆け寄ってきた時はほっとしました。思いを貫いて間違いはなかった、と。この条約は、現在と将来の世代の生存に貢献するだけではありません。核実験なども含めた幾多の犠牲について、真の反省の上に立って実現するべき国際的な合意なのです。

 そして7月7日、122カ国・地域の賛成多数で条約が成立しました。ICANをはじめとする世界の市民と被爆者、核兵器廃絶に熱心な国々が手を携え、歴史をつくった瞬間でした。「核兵器の終わりの始まり」。条約採択に沸く議場で、私が万感の思いで口にした言葉の通り、本当のスタート地点に立ったのです。

 ≪さらに、ICANのノーベル平和賞受賞が決まる≫

 被爆者はもちろん、廃絶のため頑張ってきたすべての人に与えられた賞です。ICANの努力を知る一人としても最高の喜びでした。さらに、12月の授賞式に登壇してほしい、ICAN国際運営委員の総意だ、という提案まで受けたのです。

 ありがたいことに、いつも仲間から「セツコの思想と言葉に私たちは鼓舞されている」と言われてきたのですが、彼らのずばぬけた知識と行動力に励まされてきたのは私の方。そのICANのお役に立てるなら、と謹んで引き受けました。

 身を削る思いで言葉を紡ぎ、受賞演説の文面を考えました。とはいえすべて私一人で決めたのではなく、ICANの数人と話し合いながら何度も練りました。

(2018年8月30日朝刊掲載)

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <20> ノーベル平和賞

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