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連載・特集

平和を奏でる明子さんのピアノ 第1部 よみがえった音色 <3> 広がる共鳴

「鍵盤の女王」心寄せる

 今年8月、世界的なピアニストのマルタ・アルゲリッチさん(78)が広島に来訪し、ピアノ協奏曲「明子のピアノ」を広島交響楽団とともに演奏する予定だ。19歳で被爆死した河本明子さんをテーマにしたこの曲は、世界初演となる。「鍵盤の女王」とも称されるアルゲリッチさんが、なぜこれほど明子さんのピアノに心を寄せるのか。事の始まりは、15年前にさかのぼる。

萩原さんが演奏

 2005年夏、明子さんの実家に眠っていた被爆ピアノが修復され、広島市中区のホールで60年ぶりに美しい音色を響かせた。このコンサートを企画した「HOPEプロジェクト」代表の二口とみゑさん(70)=佐伯区=を舞台裏で支えたのが、東京の梶本音楽事務所(現KAJIMOTO)の元副社長、佐藤正治さん(69)だった。

 慣れないコンサートの準備をする二口さんを心配した知人が、大学の後輩だった佐藤さんに協力を依頼。佐藤さんがアルゲリッチさんからの信頼厚いマネジャーであることを、当時の二口さんは知るよしもなかった。

 その後、佐藤さんは、ジュネーブ国際音楽コンクールで優勝した萩原麻未さん(33)=安佐南区出身=のマネジメントを手掛けるように。13年、原爆の日のテレビ中継で萩原さんが神崎小(中区)の児童を前にピアノを弾く予定が入り、ふと、あの日のピアノを思い出した。

 本番では急きょ、「明子さんのピアノ」を使用することに。母方の祖父母から被爆体験を聞いて育った萩原さんは事前に二口さんに会って、明子さんの生涯を学んだ。放送後の交流会では児童たちに「明子さんはショパンが好きだったそうです」と語り掛け、名曲「ノクターン第2番」を届けた。

 「温かい音色に、人々は何かを感じようとする。音楽が体験の継承に参加している」。佐藤さんはそれまで単なる被爆遺品と捉えていたこのピアノに、芸術を生み出す潜在的な力を感じた。

協奏曲を世界へ

 被爆70年の15年8月、アルゲリッチさんの姿は広島にあった。広島交響楽団と初協演したコンサートの翌々日、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の研究者である次女が中区で開いた平和イベントに来場。終了後、ステージ上に置かれた明子さんのピアノに興味深そうに近寄り、音色を確かめるように弾き始めた。奏でる喜びがあふれ出るように、鍵盤上を指が跳ね回った。

 「まるで、ピアノの側で明子さんが喜んでいる姿が見えるようだった」と演奏を間近で見守った萩原さん。自身も広島出身の使命感を胸に、このピアノを弾き続ける決意を新たにしたという。

 ピアノ協奏曲「明子のピアノ」は、広響が気鋭の作曲家、藤倉大さん(42)=英国在住=に委嘱。藤倉さんは昨年、広島市を訪れ、明子さんのピアノを弾きながら着想した。広響とアルゲリッチさんによる演奏の後、11月にはロンドンでBBC交響楽団による海外初演も予定されている。「萩原さんたち世界中の若いピアニストにずっと、100年後まで弾き継いでもらいたい」。佐藤さんは願う。(西村文)

(2020年4月23日朝刊掲載)

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