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連載・特集

渋沢栄一と岡山 <2> 校内の墨書

商業教育 生徒の励みに

 7月末、笠岡市笠岡の笠岡商業高で開かれたオープンスクール。授業を体験するため訪れた市内外の中学生たちが、管理棟の玄関横に掲げられた墨書を見上げた。「好學近乎知」。左端には「八十九翁青淵書」という落款がある。青淵は、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の雅号という。89歳の頃に揮毫(きごう)したとみられる。

 縦約0・8メートル、横約2・4メートル。同校によると、字の出典は、中国の古典「中庸」。「学を好むは知に近し」と読み、学問を好むと物事の道理に近づけるとの意味を示す、という。

 1902年創立の同校は、県内の商業高では2番目に長い歴史を持つ。笠商80周年記念誌によると、墨書は28年に完成した講堂に掲げるために学校が渋沢に依頼したという。渋沢は幕末の農兵募集の際、興譲館(井原市)初代館長の阪谷朗廬(ろうろ)と親交を深めるなど、岡山と縁があった。商業教育を尊ぶ教育方針に共感し、依頼に応じてこの言葉を揮毫したと伝わる。

 情報処理科2年の古山貴章さん(16)は「入学時に説明を受け、著名人の書があるのに驚いた。誇りに思っている」と書を見上げる。三村光校長(60)は「書を見た多くの人材が、本校から育った。在校生も励みにしてほしい」と期待する。渋沢の思いが込められた墨書は、これからも玄関横で生徒を迎え、送り出す。(谷本和久)

(2021年8月17日朝刊掲載)

渋沢栄一と岡山 <1> 企画展

渋沢栄一と岡山 <3> PR列車

渋沢栄一と岡山 <4> 友好の人形

渋沢栄一と岡山 <5> NHK岡山放送局

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