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惨禍の現場 今に伝える 被爆翌日の本通り商店街■傷ついた子■立ち上るきのこ雲

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に推薦される「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」は、被爆者や報道機関、調査団のカメラマンたちが惨禍の生々しい現場に立ち、その時にしか撮れない被爆者や街の状況を捉えた重要な記録だ。被爆直後の街、傷ついた子どもたち、放射線にむしばまれた体…。写真1532点と動画2点が今に伝えている。(編集委員・水川恭輔)

 写真は、27人と1団体が撮影した。1978年結成の「広島原爆被災撮影者の会」に参加した故深田敏夫さんは爆心地から約2・7キロで被爆し、目前に立ち上るきのこ雲にレンズを向けた。故岸田貢宜(みつぎ)さんは、原爆投下で壊滅した翌日の市中心部を収めた。

 朝日新聞社、毎日新聞社の各大阪本社のカメラマンは45年8月9日に広島市に入り、壊滅間もない市中心部や大やけどを負った被爆者たちを写している。故菊池俊吉さんは学術調査団に同行して10月に市内を回り、髪が抜け落ちて放射線の影響があらわな市民や救護所の様子を記録した。

 動画2点は、戦時中に映画ニュースなどを製作していた社団法人日本映画社により撮られた。45年9月22日公開の「日本ニュース第257号 原子爆弾 広島市の惨害」(2分50秒)は、9月3日の映像が含まれ、現存する中で最も早い時期に撮られた被爆後の広島に関する日本のニュース映像だ。NHKがフィルムを所有する。

 もう1点は、菊池さんと同じ調査団に同行して街の被害や被爆者を収めた記録映像(110分)で、国立映画アーカイブ相模原分館がフィルムを所蔵する。中国放送が保存に協力し、関連の取材を続けていた。

 資料の多くは、原爆資料館(広島市中区)や各報道機関のウェブサイトなどで公開されている。

(2023年11月29日朝刊掲載)

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