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広島原爆写真 推薦 25年春にも可否決定 ユネスコ「世界の記憶」登録へ政府

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」の国際登録へ、政府は28日、広島市と中国新聞社など報道機関5社の共同申請による「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」を推薦すると決めた。登録されれば、広島の被爆関係資料では初めてで、核の惨禍を国内外に発信する後押しになる。2025年春にユネスコ執行委員会で可否が決まる見通し。

 資料は、被爆した市民や報道カメラマンをはじめ27人・2団体が、1945年8月6日から45年12月末までに撮影した原爆写真1532点と動画2点からなる。元中国新聞社カメラマンの故松重美人(よしと)さんが、米軍による原爆投下当日の市民の惨状を捉えたカットなど代表的な原爆記録写真を多く含む。

 動画は45年9月22日公開のニュース映像と、9~10月に学術調査団に同行して撮影された記録映像。いずれも戦時中にニュース映画を製作していた日本映画社が写した。

 保存や活用に関わる広島市、中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社が今年8月、「世界の記憶」の推薦候補として文部科学省に写真を共同申請。その後、審査委員会での意見も踏まえて動画を加え、中国放送、NHKが共同申請者となった。政府は推薦を決め「世界的重要性が高い記憶遺産であり、関係省庁が緊密に連携して登録へ適切に取り組む」としている。

 ユネスコによる新規登録は2年に1度で、1カ国2件まで推薦できる。今回の国内公募には5件が応じ、政府はもう1件として、21年に推薦し、23年のユネスコ執行委で登録が見送られた徳川家康ゆかりの「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(そうしょ)」を選んだ。2件の申請書を今月末までにユネスコに提出する。登録審査には、資料保存の専門家たちが当たる。

 原爆関係ではほかに、市民団体「広島文学資料保全の会」と広島市が原爆詩人峠三吉たち4人の自筆原稿や手帳を、被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの遺族や市が折り鶴などの遺品を共同申請していた。(編集委員・水川恭輔)

首相「登録に向け取り組む」

 岸田文雄首相は28日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」国際登録への推薦が決まった「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」など2件について「2025年春の登録に向けて取り組んでいきたい」と述べた。官邸で報道陣の取材に答えた。

 原爆の資料については「被爆した市民や報道カメラマンによって撮影された貴重な資料と聞いている」と説明。2件とも「登録にふさわしい記憶遺産」と話した。

 上川陽子外相も同日の記者会見で触れた。被爆者が少なくなる中で「平和の大切さを誓い合う大きな要素になる。世界の記憶として残すことは極めて重要だ」と強調。「必死になって記録を残された方々の思いも込めて、(被爆の)現実を一人でも多くの方々に知ってもらうべく努力をしていきたい」との姿勢も示した。(山本庸平、樋口浩二)

何が起きたのか 一次資料の役割

共同申請者のコメント
 広島への原爆投下によって何が起きたのかを克明に記録したのが、本資料の写真や動画です。被爆者の高齢化が進む中、戦争と核兵器使用の末に人間にもたらされた惨禍を今に伝える一次資料として役割が増しています。世界中に認知され、過ちを決して繰り返さないための各国政府や市民の取り組みに資するのを期待しています。

 日本政府の推薦決定により、ユネスコの「世界の記憶」へ一歩前進しました。私たち自身、本資料の重要性をあらためてかみしめ、引き続き、原爆資料館での展示や報道各社のウェブサイトを通じた写真と動画の発信、資料の適切な保存に取り組みます。

世界の記憶
 重要な記録物への世界の人々の認識を高め、保存、公開を進めるのを目的に、ユネスコが1992年に始めた事業の総称。95年、代表的事業として人類史上で特に重要な記録物を国際登録する制度を始めた。2021年の制度変更で、加盟国の政府機関を通じてのみ申請可能になった。加盟国は異議申し立てでき、合意するまで審査は保留される。23年6月時点で、「アンネの日記」や「ベートーベン交響曲第9番」の自筆譜など494件が登録されている。

(2023年11月29日朝刊掲載)

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