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過ち繰り返さぬために 広島原爆写真 「世界の記憶」に推薦 恐ろしさ「多くの人感じて」

 広島の被爆の記憶を、過ちを繰り返さないための人類の記憶に―。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」国際登録に向けて「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」の政府推薦が決まり、撮影者や遺族、被爆者たちは「一歩進んだ」と期待を高めた。(編集委員・水川恭輔、小林可奈、新山京子)

 「登録されれば多くの人の目に触れ、永久に残る。このようなことが起きたらいけないと感じてほしい」。資料に含まれる原爆投下直後のきのこ雲の写真を撮影した一人で、元中国新聞社記者の山田精三さん(95)=広島県府中町=は力を込める。

 1945年8月6日朝、幼なじみと近所の水分峡(みくまりきょう)へ出かけていた。「ピカッと光ってドーンという音が聞こえた後、赤黒い雲が空高く上がった」。爆心地から約6キロ。携えていたカメラのシャッターを夢中で切った。

 広島市と中国新聞社など報道機関5社は「世界の記憶」へ、写真1532点と動画2点の登録を目指す。写真を撮った個人27人のうち、健在なのは山田さん1人だ。「私は偶然に撮影したが、他の人たちは原爆の恐ろしさを記録に残さなければという使命感もあったと思う」。亡き撮影者の思いも胸に、登録を支持する文書に署名した。

 写真のうち218点は、山田さんも加わった「広島原爆被災撮影者の会」(78年結成)の関連資料だ。地元の撮影者や遺族たちから集め、保存、公開に尽力した。

 代表を務めたのは、原爆投下当日に市民の惨状を収めた元中国新聞社カメラマンの松重美人(よしと)さん(2005年に92歳で死去)。長女の井下加代さん(80)=三次市=は、生前の父にもらった撮影者の会編集の写真集「広島壊滅のとき」(81年刊)を大切にしてきた。「原爆の写真を残すことに一生懸命でした。より多くの世界の人に見てもらえれば、父も喜ぶと思う」

 菊池俊吉さん(90年に74歳で死去)の撮影分は811点と半数超を占める。長女でネガを受け継ぐ田子はるみさん(67)=東京=は「核兵器が使われればどうなるのかを、父の写真がいつまでも伝えてほしい。『世界の記憶』への登録は、その大きな力になる」と声を弾ませた。

「人類必見の記録」 被爆者も登録期待

 被爆者団体の代表者も登録に期待している。登録を支持する文書に署名した日本被団協の箕牧(みまき)智之代表委員(81)=広島県北広島町=は「核兵器の恐ろしさ、怖さを実感してもらうチャンスになる。写真や映像ならば、世界各国でインターネット上で被爆の実態を見ることができる」と歓迎した。

 長崎で被爆し、やはり支持文書に署名した日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(91)=埼玉県新座市=も「すべての人が核兵器の非人道性の実態を知るために、被爆関係資料は人類必見の記録だ」と強調。「ユネスコが人類の遺産とすればうれしい。長崎の被害も伝わるよう願う」と語った。

(2023年11月29日朝刊掲載)

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