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連載・特集

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <3>

 およそ土のないところに、生きとし生けるものは育たない。私たちが、毎日口にする米も大根も芋もニンジンも、全てこの土より生まれ、土にかえるのは自然の摂理だ。

 画家・四国五郎先生(以下敬称略)もまた、この広島の地に着床するように絵を描き、詩を詠んだ。まさに「土着」の人であった。四国は一時、画家として生きるために上京することを渇望していた。しかし戦後3年たってシベリア抑留から広島に帰ると、愛弟も古里も無残に消えていた。

 ヒロシマの現実を目の当たりにした者にとって、それを置いて上京することは裏切りではないかと自問し、一大決心をしたのではなかろうかと思う。このヒロシマにあって、絵を描いてゆこう! それが私の責任だ。ヒロシマの責任をキャンバスに塗り込めよう。平和のために一生描き続けよう! 四国はここを動かず、土着に徹すると決めたのだ。

 四国を評する立場にはないが、岩国市出身の詩人・評論家の杉本春生(1926~90年)が詩人米田栄作の詩集を評した一文を、四国が著作「広島百橋」に引用している。これは四国評のようにもとれるので借用する。「鎮魂が一見透明な美的表現をとりながら、そのじつ、はげしい自己懐疑や自己崩壊の衝動をくぐりぬけた、強靱(きょうじん)な詩的思考や技法によって支えられている」「原水爆を支配する者に対する怒りが、一義的に固定され、いちじるしい観念化の色彩を帯びることなく、こんにちの広島における、最も豊かな稔(みの)りを示す」(清掃員画家=広島市)

(2015年7月30日朝刊掲載)

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