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連載・特集

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <7>

 四国五郎先生(以下敬称略)の傍らで、共に活動したのは10年ほどである。私は組織なるものには関わらず、生きようと決心し、40年前、仕事をしていた大阪から古里広島に帰ってきた。ギャラリーなどを巡る中で、地味だけど、ヒロシマにこだわった制作を続ける四国と出会った。

 でき得る限り多くを学びたくて、四国が出没しそうな場所には無遠慮を顧みず出かけ、話をするようになった。そんな折、「ガタロさん、平和美術展の運営委員になってもらえんですか」と言われた。私は一瞬ためらったが、四国先生が言われるのならと広島平和美術協会の活動に携わるようになった。

 四国先生の傍らにいることが幸福であった。だが、四国の傍らにいると、周辺から必ず聞こえてくることがあった。「四国の絵は、文学的じゃ説明的じゃ」の声である。私はこの言葉に反発した。

 「美術」が説明的であってはならないというのは、近代以降の刷り込みではないか。人間は言葉を持って生きている。

 原爆資料館(広島市中区)に所蔵されている、市民が描いた原爆の絵をご覧になったことがあるだろうか。おそらく絵筆の一つも執ったことのないであろう人、むしろ絵を描くということ自体が苦痛とさえ思える人が「わしゃ見たんじゃ!」と、原爆を、人間を、戦争の非人間性を、訴える絵―。これは絶対言語なのだ。戦争を原爆を忌避し、崩れることのない平和を希求する時、詩であれ、絵画であれ、表現に境界などない。芸術はセツメイ以外の何ものでもない。(清掃員画家=広島市)

(2015年8月5日朝刊掲載)

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