×

連載・特集

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <5>

 何事にも、道には極めた道というものがある。画家・四国五郎先生(以下敬称略)は、美術とか芸術というものが、先の戦争のさ中に、いかような役割をなしたかその身をもって知った人である。戦時中、美術界の大家と言われる画家たちが戦争画を描いて人々を戦争に駆り立てた。四国は、戦争やシベリア抑留、広島の被爆後を体験し、死を現前に見た者として、自らの生や大好きな絵を描くことの意味を根本から問うていた。

 ゆえに戦後、社会的メッセージのある絵を描くことと、「画家」として評価される絵を描くこととの乖離(かいり)で苦悩し、いわゆる「美術」の山を下りたのではないか。

 四国は、原爆養護老人ホームへ毎年出かけ、奉仕で被爆者たちの似顔絵を何十年と描き続けた。フラワーフェスティバルにもその草創期から休むことなく参加し、似顔絵コーナーで、客に喜んでもらえる絵を描いた。私はその傍らで、ヘタクソな似顔絵を描いた。ある時、四国に対し、地元で著名なある画家が、「ありゃ似顔絵描きよ、もっとデッサンをせんにゃ」と言った。四国を尊敬する私は腹の虫がおさまらなかった。

 その画家に私は、ならば、と似顔絵を描いてみるように迫った。彼はしぶしぶ受け入れたが、一向に手が、鉛筆が、動かぬのである。たかが似顔絵、されど似顔絵である。彼は恥をかいたのだ。

 今まさに対面する人間のもっともその人らしいところを抽出したそれを、瞬時に描いてみせるのが似顔絵である。これを似顔道(じがんどう)という。四国は、どんな相手にもオールマイティーに答えたのである。(清掃員画家=広島市)

(2015年8月1日朝刊掲載)

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <1>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <2>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <3>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <4>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <6>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <7>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <8>

年別アーカイブ