×

連載・特集

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち①

 私は中学1年の時、クラスが校内合唱コンクールで学年優勝し、地区の大会で歌うことになった。優勝がうれしく一生懸命に練習をしていたが、ある日、隣に立つ合唱部の子から「山本くんは音痴だね」と言われた。楽しかった合唱が途端に嫌になった。それ以来、「音楽」は楽しいものではなく「音が苦」となってしまった。

 技術職として働いていた広島電鉄を25歳で退職し、昭和62(1987)年に広島市文化財団に転職した。翌年、当時の勤務先だった東区民文化センターでピアニスト仲道郁代さんの全国ツアーの公演があり、舞台担当をした。リハーサルが始まると、今まで聞いたことがない美しい音色が耳に入ってきた。ショパンのノクターン第2番。卵を握ったような形の手が鍵盤の上にそっと置かれ、そこから広がってくる音色に感激した。

 この日から「音楽」は苦しいものから、楽しみへと変わり、いつしか自分でコンサートを企画したいと考えるようになった。翌年12月、知人を誘って仲道さんのコンサートを自主企画した。ピアノ教室の先生方を紹介してもらい、チケットを売った。後々、その先生方が私の音楽企画の良き相談者となった。

 仲道さんはアンコールであのノクターンを披露した。感激がよみがえり、生で感じる音楽の心地よさを伝えたいと思うようになった。私の長かった「変声期」は終わった。(やまもと・しんじ 広島市東区民文化センター館長=広島市)

(2021年4月8日朝刊掲載)

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち②

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち③

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち④

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち⑤

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち⑥

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち⑦

緑地帯 山本真治 広島ゆかりの作曲家たち⑧

年別アーカイブ