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連載・特集

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <2>

 どんな人間でもその身中に、どうしようもない虫の1匹や2匹を飼っているのではあるまいか。「腹の虫がおさまらない」「一寸の虫にも五分の魂」の「虫」だ。この虫のために、その後の生き方や美意識までが形成されるから恐ろしい。四国もまた、大きな虫を飼っていた。「絵描き虫」だ。

 四国の傍らで、スケッチする手の動きを見たことがある。とにかく速いのである。一心に青葉をはむ虫のようだ。白い紙の上をひたすら動く手が止まらないのである。1枚はんだら2枚、3枚と進む。四国は私に言った。「昔はもっと速かったんですが」と。

 速さは呼吸であり、その人自身の宇宙なのだ。四国の著作に「広島百橋」があるが、ここに収められているスケッチの制作年月日を虫眼鏡でのぞいてみた。「七二、十二、三十」とある。世は年末で慌ただしいこの日付と同日の作品をたくさん見つけた。この日最低でも8枚描いているのである。

 なぜこうも速描きになったのか。四国はシベリア抑留を体験している。酷寒の地で凍症となり、栄養失調となり、吐血し、病院に運ばれた。生死のふちを生きた四国にとって常に、明日というものはないという強迫観念を骨身に刻まれたのである。平和な時を生きる人間とは時間感覚が違う。

 四国が敗戦3年後に広島へ帰ると、懐かしい故郷も、共に画家になろうと誓った愛弟も、1発の原子爆弾で消えてなくなっていた。未来までも奪われたのだ。そして四国は何のために描くかを自身に問うた。ヒロシマに生きる者として、その答えは一つである。(清掃員画家=広島市)

(2015年7月29日朝刊掲載)

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