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連載・特集

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <4>

 「未知の人をひきあわせ、結びつける仲だちのことを『橋渡し』という。川によってへだてられていた人々は、架橋によって繋(つなが)りができ、親しい往来をはじめる」

 これは画家四国五郎先生(以下敬称略)が著した画文集「広島百橋」の冒頭の言葉だ。その最後にはこう結ぶ。「広島の橋をスケッチしながら考えさせられたのは、橋の復権ということだった。そしてそれは人間の生きざまについて考えることでもあった」。広島は水の都と象徴されるようにそこで生き、生活する者はどうしても川を跨(また)ぐはめになる。

 川と橋は一対のものである。橋がなければ比岸と彼岸は遠い存在となる。もしくは平行線のままである。橋そのものは自らを主張することはない。右の人も渡せば左の人も渡す。神を信じる者も信じない者も渡す無償の存在としてそこにある。人は往々にして自らを利する者は歓待し橋を渡すが、それは損得の打算でしかない。

 「広島百橋」は、平和とは何か、どのようにすれば戦争などない世の中となるのか、大いに示唆を与えてくれる。橋上に立ち止まり眺むれば、川面は緑をなし、流れる緑は穏やかだ。

 四国は広島の橋が大好きで自在にスケッチしていた。1970年代に2年間で500枚は描いたといい、その後も描き続けておられたからその数はもはや分からぬ。

 私も四国をまねて橋を描くが、かように自在には描けぬ。どこまでも人に優しいはずの橋がその実、堅牢(けんろう)な構造物だからである。それは四国そのものである。(清掃員画家=広島市)

(2015年7月31日朝刊掲載)

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