×

連載・特集

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <6>

 画家四国五郎先生(以下敬称略)は、およそ「かく」というプロセスを踏むことなら絵画は無論のこと詩や小文も書きまくった。

 広島で60年続く広島平和美術展も1955年に創設。事務局などの雑務を長年にわたって担っていたので、事務連絡や依頼文も多く書いたが、私のような若輩者にも、逐一自筆の一文を添えるまめさであった。

 四国は、交友のあった詩人・峠三吉のいう「くずれぬへいわ」のためなら何でもやる一心で「かいた」のである。

 四国は、朝鮮戦争で言論統制が厳しかった50年代初頭に、峠らと辻(つじ)詩活動をしている。街頭(辻)に出て、絵と詩で戦争の愚かさを痛切に訴えた。「直接市井の人々にむけ唄いたい(うたうとは訴えるがそもそもの源辞である)過激にやろう」と日記にも書いている。

 寺山修司は「書を捨てよ街に出よ」と訴えた。米国のビキニ水爆実験に強く抗議し「ラッキードラゴン」を描いたベン・シャーンは「大半の芸術家は体制順応である」と、閉じた世界を批判している。

 アーティスト(芸術家)がこういった言動をすると、プロパガンダの表現だとか、単なるパフォーマンスだとかいう人もいる。

 既存の美意識を従順に絵にすることが「表現」なのだろうか。ヒロシマに生まれ、育てられた私である。その土壌なくして今日の感性はない。戦争はつまらん、原爆は否と、街頭に出て「デモる」のも大いなる表現なのだ。若者よ共に汗をかこうではないか。(清掃員画家=広島市)

(2015年8月4日朝刊掲載)

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <1>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <2>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <3>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <4>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <5>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <7>

緑地帯 四国五郎先生と私 ガタロ <8>

年別アーカイブ