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連載・特集

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン④

 やがて、長引く戦争はミッション系の広島女学院にも暗い影を落とした。日米関係が悪化し、1940年には米国人教師や宣教師は強制的に帰国させられた。外国人への反感を感じたセルゲイは日本に残るか、別の国で新生活を始めるか決めかねていた。祖国ロシアはもうなかった。悩んだ末、2枚の小さな紙を帽子に入れて自分で「くじ引き」をした。その結果、日本に留まる決心をした。

 当時、長女カレリアと長男ニコライは神戸のカナディアン・アカデミーで学び、広島に時折戻る生活をしていた。40年、ニコライは米国の大学進学を目指し渡米。カレリアは広島に戻り、英語教師となった。写真のカレリアは長身で、りんとしたまなざしに父親譲りの意志の強さが感じられる。

 41年12月、真珠湾攻撃で一家の生活は一変する。米国のニコライとは音信不通となった。ある日、セルゲイが知人に「家に北海道のチーズがある」と話したところ、「家に北海道の地図を隠し持っている」といううわさが広がり、彼はスパイ容疑で連行され厳しい尋問を受けることになった。その後、嫌疑が晴れて釈放されたが、長い拘留生活で健康を害した彼は広島女学院の教壇を去らねばならなかった。市内中心部の住み慣れた自宅は軍に接収され、一家は市郊外の牛田(現東区)で借家住まいとなった。

 45年8月6日の朝、セルゲイと妻のアレキサンドラ、カレリアは家の中にいた。外で遊んでいた次男のデビッドが「飛行機が来た」と叫びながら家に入った瞬間、白い閃光(せんこう)が走った。(元英語教諭=広島市)

(2021年8月19日朝刊掲載)

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン①

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン②

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン③

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン⑤

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