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大江健三郎さん死去 寄り添い 願い発信/弱き者へ愛情

 作家の大江健三郎さんの訃報が伝わった13日、広島の被爆者やゆかりの人に悼む声が広がった。

 被爆者の原田浩さん(83)=広島市安佐南区=は1995年に原爆資料館(中区)を訪れた大江さんを館長として案内し、被爆体験を語った。「まなざしは真剣そのもの。広島に寄り添い広島の願いを国内外に伝えてくれた」と感謝した。

 日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(90)=埼玉県新座市=は80年代、援護拡充を訴える旧厚生省前での座り込みへ激励に来た大江さんを懐かしむ。「ぽつぽつと発する言葉に重みがあった。弱き者への愛情をいつも感じていた」

 大江さんは「ヒロシマ・ノート」で被爆者の森滝市郎さんと、妻しげさんに触れ、原爆の悲惨さを告発し続ける姿に「威厳」を見いだした。次女の春子さん(84)=佐伯区=は「広島という人間の尊厳が踏みにじられた最たる現場に身を置き、冷徹な視点から被爆地を見つめた」と語る。

 やはりヒロシマ・ノートに登場する広島原爆病院初代院長の重藤文夫さんの長男、紀和さん(81)=東広島市=は「ロシアのウクライナ侵攻が続くなど困難な時代。大江さんならどう考えるか、もっと聞きたかった」と惜しむ。

 大江さんは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の発足(2011年)を呼びかけ、脱原発運動の先頭に立った。一方、山口市の山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑を長年、寄付などを通じて献身的に支援したという。八代拓理事長(40)は「大江さんの平和への思いの大きさを感じる。遺志を私たちが継がないといけない」と前を向いた。

(2023年3月14日朝刊掲載)

大江健三郎さんを悼む 被爆地の人々に導かれ

天風録 『大江健三郎さん』

大江健三郎さん死去 ヒロシマも悼む ノーベル文学賞講演英訳の友人 山内久明・東京大名誉教授(広島市出身)

大江健三郎さん 「ヒロシマ」を語る

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