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被爆ピアノ常設展示へ 平和記念公園レストハウス

愛用の女子学生 生涯も紹介

 広島市が改修工事を終えて7月1日の再オープンを予定している平和記念公園内(広島市中区)の被爆建物レストハウスに、19歳で被爆死した河本明子さんが生前愛用し、爆心地から約2・5キロで被爆したピアノを常設展示することが17日、分かった。「明子さんのピアノ」を平和のシンボルと位置づけ、原爆の悲惨さを伝える。

 テーブルや椅子が並ぶ2階の休憩スペースの一角に設置。明子さんの生涯や、米国移民だった両親が現地で買い求めていたピアノとの関わりを紹介するパネルを添える。劣化が進んでいるため、見学者が演奏することはできない。

 ピアノは1945年当時、三滝町(現西区)の河本さんの自宅にあった。側面に原爆の爆風などによる傷痕があり、ガラス片が突き刺さっている。広島女学院専門学校(現広島女学院大)3年だった明子さんは、建物疎開の作業中に爆心地から約1キロで被爆。全身にやけどを負い、翌日に自宅で亡くなった。

 戦後も両親がピアノを保管した。2005年に一般社団法人「HOPEプロジェクト」(佐伯区)が譲り受けて修復し、各地で演奏されている。被爆75年の今年8月には、世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチさんが広島交響楽団と「明子さんのピアノ」を題材にした楽曲を市内で初演する予定。

 レストハウスは爆心地から約170メートルにあり、鉄筋地上3階、地下1階延べ1011平方メートル。1929年に大正屋呉服店として建設された。被爆時に勤務中だった37人は、地下にいた1人を除き全員亡くなった。改修工事では、外壁などをかつての装いに近づけた。

 ピアノの設置は、レストハウスの指定管理者で、ひろでん中国新聞旅行など市内5社・団体でつくる「平和記念公園レストハウスつなぐプロジェクト共同事業体」の自主事業の一環。HOPEプロジェクトの二口とみゑ代表(70)は「多くの人の目に触れて、明子さんに思いをはせてほしい」と話している。(新山京子)

(2020年4月18日朝刊掲載)

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