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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 直後のカルテ <5> 赤十字の報告書

原爆の非人道性を速報

禁止訴える根拠に

 「原爆の影響は毒ガスを含む、ほかの兵器をはるかに超える。赤十字国際委員会(ICRC)は原子力を破壊兵器に使うことを禁止する(outlaw)ために影響力を行使すべきだ」

 米軍の原爆投下から23日後の1945年8月29日、広島入りしたICRC駐日代表部職員の故フリッツ・ビルフィンガー氏(1901~93年)は、機密報告書をそうまとめた。スイス・ジュネーブのICRC本部にある公文書館に今も、駐日代表部に惨状を伝えた電報と共に保管されている。

物資の確保促す

 30日付の電報は「視察した病院2カ所の状況は、筆舌に尽くしがたい。患者が白血球の変質やその他の内部損傷による致命的な症状に苦しみ、膨大な数の人々が死んでいく」。駐日主席代表の故マルセル・ジュノー氏に医薬品など救援物資の確保を促した。

 さらに街の壊滅などを詳しく記した、冒頭の機密報告書(10月24日付)も作成。被爆後に大阪の病院に運ばれて高熱や出血の末に死亡した26~38歳の男性4人の臨床記録を添えた。

 それから76年目の今年1月、核兵器禁止条約が発効する。ICRCはその推進力の一翼を担った。本部の法律補佐スタッフ、フェイシア・テイシェイラさんはビルフィンガー氏の果たした役割の重要性を強調する。街の壊滅、放射線により収束を見ない被爆者の苦しみの報告は「核兵器の非人道的な影響に目を向けさせ、禁止と廃絶への取り組みの大きな根拠となった」

 テイシェイラさんはさらに広島・長崎の資料や証言を通じ、各国の核兵器の非人道性についての認識を高めることが今後も重要とみる。「核兵器による惨状を防ぐ人道的、道徳的な義務を決して忘れないため」だ。

 核兵器の禁止、廃絶が必要と訴えるため一層の活用が期待される医学資料。広島県医師会の松村誠会長(71)は「記録の保存と次世代への継承は、われわれの責務だ」と強調する。2005年に市内で見つかった被爆直後の死亡診断書を手に取ったことがあり、当時の医師の苦闘をかみしめた。

 時間の経過とともに散逸が危ぶまれる中、被爆に関わる資料がどの程度残っているのか、医師会会員にアンケートしたいという。さらに、保存の活動が放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)の枠組みに広がることも期待する。県医師会など8機関と、県、広島市が「オール広島」で広島の被爆者医療の知見を通じた国際貢献を図る組織だ。

政府後押し責務

 76年前、米軍が広島で使った原爆は市民を治療する役割の医師200人以上の命を奪った。混乱の中、郊外などで助かった医師や県外から入った研究者たちが記録を残した。個人情報保護との両立を模索しつつ、家族すら知らない最期や傷や症状が克明に記された「直後のカルテ」を可能な限り生かさない手はない。

 貴重な記録は県外や海外にもわずかながら残る。保存・活用には県内外の関係機関の連携に加え、日本政府の後押しが欠かせない。核兵器は非人道的だという証拠を残し、伝えることは被爆国が世界に向けて果たすべき責務だ。(水川恭輔、明知隼二)

 赤十字国際委員会(ICRC) 1863年創設。150年以上にわたり中立の立場から、世界中の紛争地で人道支援などをしている。無差別攻撃や「不必要な苦痛」を与える兵器の使用を禁じる国際人道法が守られるための活動を根幹とする。本部はスイス・ジュネーブ。1945年9月、当時ICRC駐日主席代表だった医師のマルセル・ジュノー博士が医薬品約15トンを広島に持ち込み、被爆者の治療をしたことが知られている。

 連載「ヒロシマの空白 被爆76年」の「直後のカルテ」編は終わります。

(2021年8月3日朝刊掲載)

[ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す] 放射線 未知の原爆死診断 「火傷」「中毒症」の記述 安佐南の医院 61人分の控え現存

[ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 直後のカルテ] 最期の記録 眠ったまま

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 直後のカルテ <1> 似島の記録

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 直後のカルテ <2> 京大資料

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 直後のカルテ <3> 公開対象外

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 直後のカルテ <4> 75人分

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