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連載・特集

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <3>

 冨恵洋次郎さんは2006年、被爆体験を聞く会をバー・スワロウテイル(広島市中区)の2階で始めた。ビリヤード場だったのを改装したスペースだった。

 被爆者の話を聞きたいと思ってもあてはない。まずは冨恵さん自身がピースボランティアとして活動し、学びながら被爆者たちと親交を深めた。原爆資料館の元館長、高橋昭博さん(11年逝去)らが力になってくれたそうだ。

 意外だったのは、冨恵さんは普段、お店ではまったく戦争の話はしないということ。バーは〝心の止まり木〟のような空間を目指していて、堅苦しい話は一切なし。ごく普通の若者たちの集い場という雰囲気を大切にしていた。

 私が取材で訪ねた時も、たわいない話で盛り上がっていたのが印象的だった。被爆体験を聞くことも、それぞれが何かを感じてくれればいい、という姿勢。「被爆者たちがつくり上げた広島で、自分たちも生きてこられた。それを当たり前とは思わず、感謝していこうと思う」と語っていた。

 戦争反対や脱原発を声高に叫ぶわけではなく、被爆者の生き抜いてきた話をシンプルに伝え続けている。イデオロギーではなく、〝生きる〟がテーマ。

 16年6月の会で、私は生まれて初めて被爆体験を聞いた。戦中・戦後を生き抜いてきた被爆者の話を聞き終わった後、もっとこの話を広めたいと素直に思った。他者と助け合う、自分を信じて精いっぱい生きる―。物があふれて豊かになった今こそ、被爆者たちのメッセージが求められているのではないかと思った。(週刊誌記者=東京都)

(2018年7月31日朝刊掲載)

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