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緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <4>

 冨恵洋次郎さんはかつてテレビ番組で「多くの被爆者から話を聞くのが僕たちの使命」と語っていたが、この時の取材では「被爆者たちの言葉を次世代に伝えたい」と、「聞く」から「伝える」と発言は変わっていた。

 それは、被爆者が高齢になって話せる人が少なくなってきたと実感していたからだろう。体力の衰えを理由に依頼を断られることも多くなったという。

 2016年8月に週刊誌に記事が掲載された後、「バー・スワロウテイルで被爆者たちが伝えてきたメッセージを一冊にまとめませんか」と書籍化を持ちかけた。企画が通り、私は執筆をサポートすることになった。

 作業が本格化した17年1月。被爆体験を聞く会の前、打ち合わせをした喫茶店で、冨恵さんは体調不良を訴えていた。背中に痛みがあると言い、声がかすれて会話がしづらい状態だった。2月にはカメラマンを連れてロケする予定を組んでいた。「それまでには治しておきます」と語っていた。

 1月中旬、検査入院の日を前に、書きためてきた原稿やブログにアップしたデータが一気に届いた。その数日後のメッセージ。

 <病名は肺がんでした。ステージ4です。とりあえず、2月からは代わりの人に仕切ってもらい、語り部の会は続けようと思います。本は絶対に出したいです。スケジュールが変わるかもしれないけど、やる気はあります。むしろ、生きる希望にもなります>

 医師からは余命2カ月と告げられたという。誰もが奇跡が起こることを願っていた。(週刊誌記者=東京都)

(2018年8月1日朝刊掲載)

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