どうみる核兵器禁止条約発効 <7> 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会 共同代表 森滝春子さん(82)
21年1月25日
「核の傘」依存 最大の壁 被爆国こそ転換必要
被爆者たちは、敗戦からそうたっていない時期に海外へ赴き、時に体の深い傷をさらしてつらい体験を語った。国内外の反核運動の長年の努力と連帯が、ついに核兵器禁止条約として結実した。これをどう生かし、何ができるかを考え、行動しなければならない。
≪市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」共同代表として条約実現を訴えてきた。父は、被爆者で原水爆禁止運動を率いた故森滝市郎氏。≫
1945年のあの日、市民が無差別に、殺される理由を考える間もなく消された。死者は怒りを表すこともできない。子どもの時、川遊びをしていて赤ちゃんの頭蓋骨を見つけ、持ち帰った。すると父は、見知らぬ子の骨を見つめ、泣き崩れた。今も忘れられない。
疎開先にいたため被爆はしておらず、どこか申し訳なさを感じながら、父が支援に力を注ぐ原爆孤児と接する日常だった。私なりに犠牲者や、生き延びて辛酸をなめた人の思いを背負ってきた。核兵器は最後の一発までなくすのだ、と。
97年に対人地雷、2008年にはクラスター弾の禁止条約が非政府組織(NGO)の主導で実現する中、「この道しかない」との思いを強めた。09年、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))創設メンバーのティルマン・ラフ氏と出会い、さらに確信を深めた。
≪ウラン鉱山の周辺住民が貧困と健康被害に苦しむ核武装国インド、米軍が湾岸戦争やイラク戦争で劣化ウラン弾を使ったイラク―。困難を顧みず現地を調査し、広範な核被害の実態を世に告発してきた。≫
核兵器禁止条約は、核実験被害者を援助する義務も定める。とかく広島と長崎に絞りがちな私たちの視野を広げ、ある意味「被爆者」の定義を変化させた。
ただ、使用や実験だけでなく、材料のウラン採掘に始まるあらゆる核のサイクルの中で、被害者が生み出されている。その点で条約は課題を残した。核の軍事目的と平和目的を完全に切り離すことはできない。父が残した「核絶対否定」の言葉は、今に生きている。
≪日本の条約参加は見えない。がん治療に耐えながら、日本と広島・長崎の現状に危機感を募らせる。≫
1年以内に開かれる締約国会議で、日本政府のオブザーバー参加が望まれている。政府は聞き入れないだろうし、参加しても議論に水を差す発言に終始するのではないか。17年の条約交渉会議の初日や、その会議のきっかけをつくった14年のオーストリアでの国際会議が、まさにそうだった。
米国との核同盟を基盤とし、「核の傘」への依存を打ち出していることが最大の障害だ。水面下で、米国に核抑止の強化すら迫っている。米国の核への信頼が揺らぐなら自前で持つ、という発想と表裏一体でもある。ここをえぐり出さなければ、被爆国の条約参加はない。被爆地が問われている。壮絶な闘いはこれからだ。(金崎由美)=おわり
もりたき・はるこ
1939年、広島市生まれ。広島大教育学部卒。核兵器廃絶日本NGO連絡会・共同世話人。ウラン兵器禁止を求める国際連合(ICBUW)運営委員。
(2021年1月25日朝刊掲載)
どうみる核兵器禁止条約発効 <1> サーロー節子さん
どうみる核兵器禁止条約発効 <2> オーストリア前外務省軍縮局長 トーマス・ハイノツィ氏(65)
どうみる核兵器禁止条約発効 <3> 一橋大教授 秋山信将氏(53)
どうみる核兵器禁止条約発効 <4> 広島平和文化センター前理事長 小溝泰義氏(72)
どうみる核兵器禁止条約発効 <5> 広島大平和センター長 川野徳幸氏(54)
どうみる核兵器禁止条約発効 <6> 「すすめ!核兵器禁止条約プロジェクト」メンバー 会社員田中美穂さん(26)