×

連載・特集

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <1>

 終戦の日が近づくと、マスコミでは戦争に関する話題を一斉に報じる〝8月ジャーナリズム〟がやってくるが、私の中では戦争、特に広島・長崎での被爆体験を聞き、考えることが今や日常的になっている。被爆地に何の縁もなかった私が、広島市の被爆体験伝承者に応募し、東京から頻繁に広島に通うようになったのだ。

 2年前の5月末、オバマ前米大統領が広島を訪れたことがきっかけ。雲一つない青空の下、原爆慰霊碑の前での力強いスピーチに、遠い東京でテレビにくぎ付けになったのを今でも覚えている。私は長年、週刊誌の記者をしているが、戦争に関する取材とはこれまで縁がなかった。企画を出しても通らず、半ば諦めかけていたが、ついにチャンスが巡ってきた。

 広島の繁華街、薬研堀のバーで若者たちが、毎月6日に「被爆体験を聞く会」を10年以上も続けていることを思い出した。2008年の夏、テレビのドキュメンタリー番組で知り「いつか機会があったら取材したい」と思っていた。前大統領が広島訪問してすぐ後の企画会議で、会を主催するバー・スワロウテイルの店主、冨恵洋次郎さん(当時36歳)にインタビューする企画を出したら、7ページ構成の人物ルポのコーナーでの掲載が決まった。

 急きょ、6月6日、7月6日に開催される「聞く会」を取材することになった。長い間、温めていた企画が通った喜びと、不思議な〝縁〟を感じた瞬間でもあった。(むらた・くみ 週刊誌記者=東京都)

(2018年7月27日朝刊掲載)

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <2>

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <3>

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <4>

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <5>

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <6>

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <7>

緑地帯 語り継ぐ一人として 村田くみ <8>

年別アーカイブ