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英語堪能 「外交」経験も 妻裕子さん ファーストレディーに

 ファーストレディーになった岸田文雄首相の妻裕子さん(57)は首相指名の瞬間を東京・赤坂の衆院議員宿舎からテレビ中継で見届けた。「まずはほっとしました」。外相時代は外遊に同行、2016年に広島市であった先進7カ国(G7)外相会合で「夫人外交」の経験もある。関係者は「役割をしっかりと果たせるはず」と太鼓判を押す。

 三次市出身。十日市小で同級生だった三次商工会議所の佐藤明寛会頭(56)は「おとなしめで勉強はよくできた」と振り返る。6年のとき児童会会長になると裕子さんも役員に。「よく気が付き、しっかりと支えてくれるタイプ」と話す。

 広島女学院中・高(広島市中区)に進み、寮生活を6年間送った。同級生によると「水泳部に入り、練習に打ち込んでいた」。東京女子大を卒業後、マツダに入社した。英語が堪能で、重役秘書を務めた。

 1988年、岸田氏と見合い結婚した。長年の支持者によると衆院議員だった父文武氏の秘書として企業回りを担った岸田氏の訪問先の一つがマツダ。そこで裕子さんに一目ぼれしたのが真相で、儀礼的に見合いの場が設けられたという。

 岸田氏の秘書で長男翔太郎さん(30)ら3人の息子を広島で育てた。岸田氏は政界で存在感を高めるにつれ地元に戻れなくなった。女性後援会の前京子さん(74)=中区=は「選挙では彼女がいろいろな所を回っていた」と話す。

 地元でのG7外相会合では岸田氏が議長を務め、裕子さんは参加国の外相夫人を厳島神社(廿日市市)などに案内。平和記念公園(中区)の原爆慰霊碑へ一緒に花を手向け、原爆資料館も見学した。

 岸田氏が自民党総裁に選ばれた9月29日の夜は、好物のお好み焼きを作って祝ったという。「重責で大変な日々が続くと思う。家はほっとできる時間にしてあげられたら」(境信重、河野揚、石井千枝里)

(2021年10月5日朝刊掲載)

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