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連載・特集

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊 <2>

 私が大林宣彦監督の名を知ったのは1976年。高3のときに聴いたラジオ番組「オールナイトニッポン」の中のラジオドラマ「ハウス」だった。大林監督は、元々CMディレクターとして、マンダムやホンダ、グリコなどのCMを手掛け当時大変な売れっ子だった。

 映画第1作「HOUSEハウス」の企画段階からすでにメディアミックスの手法を取り入れ、ヒットへの準備を開始した。映画出演者を少年漫画誌にグラビアで登場させ、映画ができる前にラジオドラマにして放送するなど、マスコミ媒体をうまく宣伝に活用した。

 映画「HOUSEハウス」は翌年3月にクランクインし6月に完成した。劇場では山口百恵と三浦友和が出演した「泥だらけの純情」と併映で上映された。これまで見たことのない映像表現に私は感情を大きく揺さぶられた。鑑賞中はただただ楽しい時間だった。

 「処女作はすべてを語る」。のちに大林監督は著書の中でそう回顧している。表現者たるもの大衆にこびてはいけない、常識を疑え、長い物に巻かれるな、時間芸術の特性を生かせ、ウソであるがゆえの映像で現実性を越えてマコトとしろ―など、その後の大林全作品に一貫するフィロソフィーがすでに「HOUSEハウス」で完成していた。

 そして、「転校生」(82年)「時をかける少女」(83年)「さびしんぼう」(85年)と尾道3部作で、時代の寵児となる。81年に中国放送に入社した私は、テレビディレクターとして一番多感な時期にその3部作から影響を受けまくったのである。(映像プロデューサー=広島市)

(2020年7月30日朝刊掲載)

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊①

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊③

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊④

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑤

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑥

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑦

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑧

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