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連載・特集

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊 <5>

 1997年、映画「マヌケ先生」の企画がスタートし、私はテレビ放送を担当する中国放送側のプロデューサーとして参加した。撮影時、私は40歳。大林宣彦監督は60歳だった。

 当時の私は「週刊パパたいむ」や「KENJIN」など、高視聴率番組を制作しており、まさに生意気盛り。いま思い返せば赤面する言動ばかりしていた。その代表例を「マヌケ先生」の企画段階で起こしてしまったのだ。

 「最近の大林映画は『HOUSEハウス』の頃のインパクトが色あせている。『マヌケ先生』では初期のような実験的な作品にしたい」。プロデューサー会議で恥ずかしげもなくそう言い放ったのだ。

 私は10代から憧れていた吉田拓郎さんや浜田省吾さん、その後ビッグになる吉川晃司さん、有吉弘行さんとも仕事をしてきたが、どこの現場でも同じような失敗を一度はしている。その失敗とは、表現者のフィロソフィーに土足で踏み込んでしまうことだった。

 当然私のプロデューサーとしての発言は大林監督の耳に入る。そして大林監督はこう言った。「自分のフィロソフィーを曲げた作品なんてまっぴらだ。さようなら」

 この言葉は表現者として100%正しい。製作者(プロデューサー)は、興行の収支を考えるのは当然だが、表現者のフィロソフィーを奪ってはいけない。フィロソフィーがプロデューサーと表現者で相いれなければ、芸術ではない。

 実は、監督のこのお𠮟りの言葉があったからこそ、今日まで私は映像プロデューサーとして仕事をすることができたのだ。(映像プロデューサー=広島市)

(2020年8月4日朝刊掲載)

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊①

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊②

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊③

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊④

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑥

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑦

緑地帯 門田大地 大林宣彦監督の言霊⑧

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