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連載・特集

緑地帯 ちひろとヒロシマ 竹迫祐子 <1>

 ことしは絵本作家いわさきちひろの生誕100年に当たる。平和を強く願い、ヒロシマに関心を寄せ続けた画業をたどりたい。

 1967年5月、ちひろは広島を訪れた。教育者の長田新が編んだ「原爆の子」など、被爆した子どもたちの手記を絵本にするための調査である。この絵本の企画には、戦争の記憶の風化を危惧する編集長の稲庭桂子やちひろの思いがあった。

 子どもの作文を読んだだけで涙があふれるというちひろ。広島市中区の平和記念公園近くの宿では、「この旅館は、原爆で亡くなった人のお骨の上に立っているのじゃないかしら」と言い、眠れぬ一夜を過ごした。

 翌日は、広島在住の児童文学者の山口勇子が案内役となって市内の被爆跡を回った。ちひろは終始言葉少なく、説明を聞いたという。いざ原爆資料館という時、ちひろは「そこにはどうしても行けない」と言い出す。編集者は困惑し、山口は大いに落胆した。そこには、鋭敏な感受性と豊かな想像力ゆえに、原爆の生々しい実相を受け止めきれない、ちひろがいた。

 山口は後に、「広島で何日間かを過ごした画家ちひろの口から、『わたしがちいさかったときに』という(絵本の)題名となったつぶやきがこぼれました。たまたまその席にいたわたくしにも、いわさきちひろの広島の子どもたちを思う痛苦の深さが、ぴりぴりとつたわってきたことを思い出します」と記している。(たけさこ・ゆうこ ちひろ美術館主席学芸員=長野県)

  (2018年5月22日朝刊掲載)

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