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連載・特集

緑地帯 ちひろとヒロシマ 竹迫祐子 <8>

 1973年3月、いわさきちひろは十二指腸潰瘍の悪化で入院。6月に退院し、最後の完成作になる絵本「戦火のなかの子どもたち」制作に本格的に取り掛かる。今までにないオムニバス形式だった。

 牛と一緒に川を渡る少年、焼け落ちた木を見る子どもたち。緊迫した表情の少年には「あのこは かぜのようにかけていったきり」という言葉が添えられた。「うちの あんちゃん つよいんだぞ」「うちの ねえちゃんだって…」と兄姉自慢をする子らの手前には、防空頭巾の女の子がいる。ちひろはベトナム戦争をテーマに、日本の子どもも描き込んでいる。

 「鼻は低い、おでこは出てる、顔は幅広顔、という東アジアの子どもの持っている魅力を見事に描きながら…」「いわさきちひろは、ベトナムの子ども、日本の子ども、東アジアの子どもたちの尊厳というものを描き出すことに成功した、非常に希有(けう)な画家」と、アニメーション監督の高畑勲は語った。高畑はこの絵本に、岡山の空襲で被災した姉と幼い自分自身の姿を見いだした。

 絵本の完成の間際、ちひろは「どうしても」と、1枚を描き足した。「かあさんといっしょに もえていった ちいさなぼうや」は、迫り来る炎をすさまじい形相で見据える母親と、その腕に抱かれたいたいけな表情の赤ちゃん。この母子像は、ベトナム、中国、広島、長崎、東京…と、戦禍に見舞われた世界のあらゆる所にある光景だった。ちひろは平和を願い、どこまでもかわいい子どもを描いて55歳の短い生涯を閉じた。(ちひろ美術館主席学芸員=長野県)=おわり

(2018年5月31日朝刊掲載)

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