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連載・特集

緑地帯 ちひろとヒロシマ 竹迫祐子 <5>

 広島に原爆が落とされた日、いわさきちひろは長野県松本市にある母の実家にいた。5月の東京・山の手空襲で家を焼かれ、一晩中、火の海を逃げ惑い、一家は疎開していた。

 父の正勝は陸軍築城本部の勅任技師で、勇退後も国内各所で築城部の仕事を手伝っていた。母の文江は女学校の教師から大日本帝国青少年団の主事となり、開拓士花嫁相談所の所長として、中国大陸に「花嫁」を送り出していた。国策を全うする両親の下、ちひろと2人の妹は恵まれた戦中生活を送った。8月6日もいつもと変わらぬ一日だっただろう。

 同じ日、後に夫となる松本善明は、江田島の海軍兵学校大原分校の校庭にいて、爆音を聞き、きのこ雲を見たという。

 「いわさきちひろは加害の人だったんですね。加害の人が(自らを見つめ、繰り返さないと=筆者補足)決めたら、強いんです」。作家の井上ひさしは、ちひろについてそう語った。2009年6月、広島市内であった「子どもの本・九条の会広島」発足大会でのことだ。軍属の娘のちひろを「加害の人」と言明したことに驚きつつも、ふに落ちた。

 井上は「地球の核が北半球に偏在している。南半球の核を持たない国々が中心となって、『核廃絶こそ真の平和をもたらす』と動きだしている」とも語った。それから8年後の昨年7月の国連会議で、「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成で採択された。核廃絶に向かって、世界は一歩動きだした。(ちひろ美術館主席学芸員=長野県)

(2018年5月26日朝刊掲載)

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