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連載・特集

緑地帯 ちひろとヒロシマ 竹迫祐子 <7>

 いわさきちひろにしては極めてまれな、直接的な表現のポスターがある。制作のきっかけは、1967年の終わりから東京の西銀座で毎月1回、ベトナム戦争に抗議するために開かれていた「反戦野外展」。画家の田島征三たちを中心に、「ベトナムの子供を支援する会」が呼び掛けて、絵本作家の長新太や井上洋介、グラフィックデザイナーの和田誠たちの約100点の絵が毎回並べられた。

 ゲリラ的な街頭展は、警官に撤去を迫られることもあったが、田島や若手絵本作家の西村繁男らは続けた。70年、田島はちひろに出展を依頼する。こうして「ベトナムのこども わたしたち 日本のこども 世界中のこども みんなに 平和としあわせを」という言葉が書き込まれた大きな作品が生まれた。

 子を抱く痩せた母親は、暗い目をして力なくたたずむ。言葉にならない憤りを瞳に込めた少年も。「ちひろさんの絵の中の子どもたちは、強い意志を持ったまなざしで、道行く人たちに無言で訴えていた」と、西村は振り返る。

 ちひろの現存する作品は約9700点。大半が子どもを描いたもので、卓抜したデッサンと美しい色彩で、生き生きと駆け回る子どもや、何かをじっと見つめる少女の一瞬を捉えた。赤ちゃんは生後10カ月と1歳をモデルなしで描き分けられたという。「子どもが輝くときは世界が平和なとき」を信念として貫いた。

 ベトナムでは日々、多くの子どもの命が奪われていく。ちひろは画家としてこのポスターを描かないではいられなかった。(ちひろ美術館主席学芸員=長野県)

(2018年5月30日朝刊掲載)

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