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連載・特集

緑地帯 ウルシュラ・スティチェック・ボイェデ ポーランドとヤポーニャ <5>

 1981年にポーランド出身のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世(1920~2005年)が東京、広島、長崎を訪れた。広島市中区の世界平和記念聖堂来訪を記念して、聖堂の前に彼の銅像がつくられた。私は毎週日曜日にミサに行くたび、この教皇のことを思い出し、自分がポーランド人であることを感じる。

 ローマ教皇は原爆資料館を訪れ、平和記念公園で「平和アピール」を発信した。「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。ヒロシマを考えることは、平和に対して責任を取ることです」―。アピールは世界中に広まった。

 ポーランドとヒロシマをつなぐもう一人の人物を忘れてはいけない。20世紀を代表する作曲家の一人、クシシュトフ・ペンデレツキである。94年、広島に招かれた彼は広島交響楽団を指揮し、自作曲「広島の犠牲者に捧(ささ)げる哀歌」(60年)を披露した。それから25年後の今年6月、再び広島で広響を指揮し、「平和のための前奏曲」(2009年)などを奏でた。1980年代にはヨハネ・パウロ2世にささげた「テ・デウム」、抑圧された母国への平和と自由の叫びを表現した「ポーランド・レクイエム」を世に送った。

 今年8月、広響はワルシャワで「広島の犠牲者に捧げる哀歌」を演奏した。ポーランドと広島との間にこのような密接なつながりがあることを私は誇りに思っている。(日本文学研究者=広島市)

(2019年12月3日朝刊掲載)

緑地帯 ウルシュラ・スティチェック・ボイェデ ポーランドとヤポーニャ <1>

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