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連載・特集

緑地帯 ウルシュラ・スティチェック・ボイェデ ポーランドとヤポーニャ <7>

 ポーランドと日本は、友情と人道に満ちあふれた、誇るべき歴史を歩んできた。両国は日露戦争から第2次世界大戦に至るまで、強い信頼関係があったと言えるだろう。これに関連する本が両国でたくさん出版された。

 たとえば、政治的、歴史的な視点から見ると、2人のポーランド人が書いた「日本・ポーランド関係史」(彩流社)は調べる価値がある。日露戦争の際、ロシア側に立って戦わなければならなかったポーランド人は捕虜として松山に収容された。多くが亡くなり、松山の墓地に葬られている。

 1920~22年には日本政府による「シベリアからのポーランド孤児救援」が行われた。日本軍と日本赤十字がシベリア各地から孤児らを救出し、ウラジオストクから敦賀港に送り届けた。救った孤児は計765人に上った。

 さらに、18年に独立したポーランド共和国の初代国家元首ユゼフ・ピウスツキの兄、文化人類学者のブロニスワフ・ピウスツキは19世紀おわりに政治犯としてサハリンに流刑となり、その後に北海道へ渡った。アイヌ文化に関心を持ち、歌声を録音したり、1万のアイヌ言葉を辞書にまとめたりした。現在でも重要な研究資料となっている。二葉亭四迷ら多くの日本人と知り合って、日露戦争後はポーランドと日本の友好関係を整えた。

 2013年、ポーランド政府から北海道白老町のアイヌ民族博物館(現在は閉館)に彼の胸像が贈られた。私が北海道を訪れた時、ポーランド人であると言ったら多くの人々に感動され、うれしかった。(日本文学研究者=広島市)

(2019年12月5日朝刊掲載)

緑地帯 ウルシュラ・スティチェック・ボイェデ ポーランドとヤポーニャ <1>

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