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連載・特集

緑地帯 ウルシュラ・スティチェック・ボイェデ ポーランドとヤポーニャ <8>

 1918年に独立したポーランドから多くのカトリック宣教師が日本にやって来た。最も有名なのは聖コルベ神父だ。彼は30年から長崎を訪れ、聖母の騎士修道院を設立した。6年間の滞在中、宣教をはじめ、さまざまな社会活動をした。今でも彼の部屋を修道院で見学することができる。

 コルベ神父は36年にポーランドに戻り、ワルシャワ郊外のニエポカラヌフ(無原罪の聖母の園)で出版の活動や病院の看病の仕事をした。41年、ナチス・ドイツに逮捕され、アウシュビッツに送られた。若い収容者の身代わりになり、餓死刑に処せられた。飢餓室で一緒にいた死刑者を励ましながら、祈りとともに亡くなった。

 30年代、ほかにも何人かの修道士が日本に到着した。「蟻の街の神父」と呼ばれたゼノ・ゼブロフスキ神父(82年没)もその一人。彼は長崎で被爆し、戦後は戦災孤児や恵まれない人々の支援活動を全国各地(特に東京の浅草)で続けた。彼の口癖「ゼノ死ヌヒマナイネ」は有名になった。愛嬌(あいきょう)のある白ひげ顔とユーモラスな人柄で、宗派を問わず多くの人に親しまれた。ヨハネ・パウロ2世は81年に東京を訪れた際、生前のゼノ神父に会っている。

 2010年に聖母の騎士修道院近くの病院で亡くなった修道士セルギウス・ペシェクは、コルベ神父の思い出をつづり、説教を日本語に直したりした。私も何回も会ったことがある。彼と話した際にポーランドと日本との関係を最も強く感じた。自分の人生を日本にささげた修道士をうらやましく思う。(日本文学研究者=広島市)=おわり

(2019年12月6日朝刊掲載)

緑地帯 ウルシュラ・スティチェック・ボイェデ ポーランドとヤポーニャ <1>

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