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連載・特集

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <8> 海外出張

新技術と製品見て回る

 明星ゴム工業(現ミカサ)に入社して3年くらいたった頃、初めて海外に出張した。手作業だった人工皮革の裁断に機械を導入するために当時の西ドイツへ。国内に高度な技術の自動裁断機はなくてね。羽田空港から北米を経由してハンブルクに入り、汽車に乗ってやっと着いた田舎町だった。工場に入ると、中で働く人が思ったより少ない。機械化が進んでいるんだと実感したね。

 自動裁断機は当時の金額で2千万円くらい。こんなに高いのかと思ったよ。でも会社は導入を決めた。技術の導入には積極的で、今思えば判断は合理的だった。実際に自動裁断機1台で手作業は不要になり、作業効率がぐんと上がったんだから。

  ≪「世界がマーケットで、日本市場はその一つ」―。そんな仲田国市社長の方針の下、海外への営業を強めていた。技術部の社員として、佐伯さんも海外の展示会に同行した≫

 仲田社長から「世界の動きを知るなら、現地に行かないとだめだ」と言われ、西ドイツのミュンヘンで開かれていた見本市に毎年のように行った。見本市は国内にもあったけど規模が違う。1日では見て回れないくらいだからね。会場には見たことのないような色合いのボールが並び、どんな考えでボールを作っているのかを各メーカーの担当者に聞いて回った。

 最新の技術に触れ、目で見て、説明を受けられる。「こういう考え方をしているのか」と。本を読むだけでは分からないことを知ることができた。時折、どこの会社かを問われ、明星ゴムだと答えると「あんたには話ができない」なんて言われることもあったけど。

 社長は香水が好きでね。海外ではいつも免税店でお土産として買った。毎回買い終えると、一つ仕事を終えたなという気分になったなあ。

 五輪の会場も何度も訪れた。印象的なのは1980年のモスクワ大会。ボイコットで日本選手は行かなかったけどボールは行ったんだ。当時、真っ黄色だったウオーターポロの公式球が青いプールにきれいに映ってね。色が映えれば見る人も一層楽しめる。その光景を前に、やっぱり現場を見ることは大切だと痛感させられたね。

(2022年1月27日朝刊掲載)

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <1> ボールは脇役

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <2> わんぱく少年

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <3> 己斐で被爆

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <4> 中学時代

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <5> 就職

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <6> 結婚

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <7> 入社

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <9> 円高

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