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連載・特集

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <9> 走塁のスペシャリスト

けん制球の連発に発奮

  ≪1961年から5年連続で盗塁王に輝く≫

 数にこだわりはなかった。行ける時に成功させるのは誰でもできる。西鉄との対戦や巨人との日本シリーズなど、ここぞの場面で成功させるのが本当の盗塁なんだ。塁に出ると親分(鶴岡一人監督)が目で合図をしてくる。「広瀬、行け」って。内心は、しんどいのになんで走らないといけないんだって思ったよ。機嫌がいい時は「よっしゃ。いっちょ行ったろう」と思ったもんだ。

 走る気がなくても、出塁すると相手投手が何度もけん制球を投げてくる。西鉄の稲尾(和久)は特にしつこかった。わしはへそ曲がりだから、「この野郎。じゃあ走ってやろうか」と意地になってしまう。けん制球が闘争心をかき立てるんだ。相手の必死さが乗り移る。不真面目な男だよな。

 ≪通算596盗塁は福本豊さん(阪急)の1065に次ぐ歴代2位。ただ成功率は8割2分9厘と、福本さんの7割8分1厘を上回る≫

 福本との差か。それは常に走りたいか走りたくないかの違いだ。そうは言っても、わしにも哲学はある。絶対にけん制球で刺されないこと。だから帰塁の練習ばかりした。投手がプレートを踏む軸足の動きを凝視して、けん制球が来ると分かればスタートの反動を利用して塁に戻る。右の膝を素早く内側に畳んで頭から滑り込む。いくらけん制球が来ても戻れる自信はあった。こんなわしでも、ちょっとは研究して努力したんだ。

 盗塁以上に心血を注いだのは、無死か1死の三塁走者だったら必ず生還すること。内野ゴロは全て本塁を狙った。そのためにはバットとボールが当たる瞬間、フライなのかゴロなのかを判断できなければいけない。ボールの上をたたけば必ずゴロになる。バットの軌道や球筋を見極めて、打球が転がると思ったら迷わずスタートを切る。

 打球が飛んでから走ったのでは遅い。この感覚を養うには時間がかかった。わしは毎日、味方のフリー打撃を観察することを欠かさなかった。そんな努力は誰にも明かさなかったね。飯の種をまねされたらかなわんから。

(2021年6月4日朝刊掲載)

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