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連載・特集

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <12> 故郷を愛す

友人に囲まれ地域貢献も

  ≪ダイエーのコーチを1992年限りで退任した後は、故郷の広島県大野町(現廿日市市)での生活に≫

 友達がたくさんいて、生まれ育った古里に帰ることにした。大企業の社長とも付き合った大阪とは違って、大野は旧知の人ばかり。平等でざっくばらん。いいところよ。自分で言うのも何だが、元プロ野球選手だからって威張ることはしなかった。そんな態度は母が一番嫌う。大野はアサリ漁が盛ん。船の運転免許を取って中古船を購入して漁をした。チャレンジすることが好きなんだ。

 ≪大野町体育協会の会長を務めるなど地域貢献に力を入れた≫

 「よっちゃん、これやってよ」といろいろ頼まれて、「おう、ええよ」と引き受けた。町長を務めた中丸元夫は中学校時代にバッテリーを組んだ間柄。地元の友達に請われたら、力になりたい思いがあった。

 町のふれあいマラソンを開いたり、小学校の評議員を務めたり、ひろしま男子駅伝のコース整理員をやったり。ゲートボール大会であいさつした時に、見渡すと友達がいたこともあったな。仲間とゴルフをしたり、飲みに行ったりして過ごした。

 ≪野球解説者としてカープの戦いぶりを評論≫

 現役時代はホークス一筋だけど、カープは親戚みたいな感覚。山本一義や山本浩二はかわいい後輩だ。広島の人間には愛着がわくんだ。今は現役選手をわが子のような感覚で応援している。「お父さん、お母さんのためにも頑張れよ」ってな。佐々岡(真司監督)も今年は頑張ってほしいよな。

 新型コロナウイルスの影響で、球場に行く機会はめっきり減った。今は意のままの生活を送っている。誰にも束縛されず楽しく生きることに集中できている。「フーテン」な人生を送ってきたが、もう家族とゆったりした生活を送りなさいと神様から言われているんだろう。昔だったら苦痛に感じていただろうけど、今はそうでもない。おじんになった証拠だな。=おわり(この連載は報道センター運動担当・上木崇達が担当しました)

(2021年6月9日朝刊掲載)

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <1> 感性の名選手

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <2> 優しいガキ大将

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <3> 原爆

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <4> 野球との出合い

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <5> 転機

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <6> 契約金ゼロ

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <7> 尊敬する親分

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <8> 盟友・野村克也

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <9> 走塁のスペシャリスト

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <10> 昭和のイチロー

『生きて』 元プロ野球選手 広瀬叔功さん(1936年~) <11> 3年連続Bクラス

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