
ウクライナからの避難民のケアに携わる広島市西区出身の医大生椿原弘將さん(26)が、主に35歳以下の世代へニュースを発信する「中国新聞U35」とヒロシマ平和メディアセンターを写真共有アプリ「インスタグラム」で結び、ウクライナとの国境の町、ハンガリー・ザホニー近郊から活動の現状を語った。
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中国新聞ジュニアライターとして活動する中1から高3までの6人が26日、平和記念公園「原爆この像」の前で大人記者たちに混じって米国のエマニュエル駐日大使を取材。像のモデルとなった佐々木禎子さんについて質問した。
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広島市西区出身で、ハンガリー在住の医学生椿原弘將さん(26)が、ウクライナ国境の町で、ロシア軍の侵攻から逃れて来た人たちの医療支援に取り組んでいる。避難施設の状況などを、会員制交流サイト(SNS)でも発信している。遠く離れた日本でも「ウクライナの人々が置かれた状況に、関心を持ち続けてほしい」と願う。
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市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」は8日夕、ロシアのウクライナ侵攻と核兵器による威嚇に抗議する集いを広島市中区の原爆ドーム前で開いた。キャンドル約千本を並べ、英語とロシア語で「戦争・核兵器は要らない」の訴えを被爆地から発信した。
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爆心地から約460メートルの袋町国民学校(現袋町小、広島市中区)で被爆し、原爆孤児となって朝鮮半島に渡った経験を持つ友田典弘さん(85)=大阪府門真市=が母校を訪れて体験を語った。広島市内に滞在中、当時の自らの足取りをたどる機会も得た。その友田さんに同行し、9歳だった少年の過酷な人生を見つめた。
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三瀬清一朗さん(86)は10歳の時に長崎市矢ノ平町(現矢の平)で被爆しました。2015年から修学旅行生たちに被爆証言を語っています。市街地の築町にあった実家周辺で撮影された被爆前の写真を大切に保管してきました。
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