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連載・特集

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <7> 和風堂復元

絵図を基に江戸期の美

  ≪1979年、江戸時代は広島城内にあった上田家上屋敷の茶寮を広島市西区古江の現和風堂敷地内に復元する事業に着手する≫

 復元前に古江にあった屋敷は原爆の被害こそ免れたが、近代以降の造りで江戸時代の歴史は感じられない。幸い先代(宗源15代家元)が18世紀前半ごろの詳細な上屋敷絵図を保管していた。復元可能と分かり、上田流復興の第一歩にしようと考えた。

 当初、復元は茶室の遠鐘(えんしょう)と内露地だけのつもりだった。だが設計監修を依頼した茶室建築研究の第一人者・中村昌生先生から外露地も復元するよう強く勧められた。高い塀で囲まれた狭い外露地は緊張感を持って客を迎える上田宗箇独自の空間。師古田織部の作庭を昇華させ、よりシンプルな造りに変えたことがよく分かると。経済的に余裕はないが、やるなら時機を逃すべきではないと腹をくくった。

 遠鐘の作事は日本有数の大工や左官を集めることができた。ちょうど桂離宮(京都)の修復が終わって彼らの手が空いていた。幸運にも桂離宮の古い土壁をもらい遠鐘の壁の上塗りに使うことができた。さすが江戸期の土で、すぐ黒くなり昔からそこにあるような風合いになった。

 ≪82年に完成し、建築家や芸術家が多数訪れるようになった≫

 皆さん、復元が最近なのは気にせず、その空間の美に感動される。文化は再生できる、歴史の空白は埋められるんだと心強く感じました。

 見学者の中にマツダの元デザイン本部長の福田成徳(しげのり)さんたちもいた。車の造形に上田流の洗練された美、心地よい緊張感を取り入れたいと繰り返し足を運ばれてね。僕自身、お茶が車造りの役に立つか半信半疑だったけど、実際に89年「ユーノス・ロードスター」として結実したんだ。

 何が一番参考になったか尋ねたら、答えは意外で「にじり口の戸を閉める音」だった。確かにお茶では別空間に入った感覚を持ってもらおうと戸をぴしっと閉める。ロードスターも非日常感を演出するため、ドアから乾いた気持ちの良い音がするよう苦労したそうです。現代のものづくりに伝統文化が貢献できたことはとてもうれしかった。逆に僕たちも新しいものを吸収していい。僕も大切な学びになりました。

(2021年9月8日朝刊掲載)

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