『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <10> へうげもの
21年9月13日
漫画が広めた宗箇の顔
≪「はにゃあ」「ギムッ」…。珍妙な擬音語で茶道具の美を表現する異色の歴史漫画「へうげもの」。武将茶人古田織部を主人公に、講談社の漫画雑誌「モーニング」で2005~17年に連載された≫
織部の弟子として上田宗箇が登場する。最初はちょい役で、いかにも融通の利かない武骨者としてからかわれていた。それが回が進むにつれて登場が増え、かっこ良くなる。最後は準主人公みたいになっていたね。あれはきっと作者の山田芳裕さんが連載中に宗箇を好きになっていったんだと思うよ。
≪山田さんは09年、和風堂(広島市西区)を取材に訪れた。最も心を引かれていたのは宗箇自作の茶わん「さても」だという。刀でそいだような側面の豪快なへら目が特徴だ≫
「桃山時代の茶の原点を見たい」と言われ、茶室や書院屋敷など一通り案内しました。来訪前から「さても」は気になっていたようで、取材直前のモーニングの表紙には、あの島耕作(漫画「島耕作」シリーズの主人公)が「さても」でお茶を立てるというイラストが掲載された。「へうげもの」とのコラボで山田さんが推したんでしょうね。
山田さんはシャイな方だけど、実物を見て感じ入っているのはよく分かった。「さても」は宗箇の人間味が造形に表れているようで何とも言えない強烈な魅力がある。彼は独特の表現で「しゃがれ声のブルース」と言ったけど、勇猛な武者らしい力強い気迫の中に、どこか素朴な温かみも感じさせる。
「へうげもの」は激しい誇張をする一方で、山田さんと編集者の方はかなり熱心に時代考証をしていた。ちょうど広島市教委による上田家文書の調査が終わって、資料集が刊行された頃。その後も宗箇の茶風や言行が分かる史料に解説を付けて随分と送りました。漫画での宗箇の活躍に貢献したのかもしれないな。
宗箇は肖像画が一枚も残っていない。10年の和風堂の特別公開に合わせて、織部と宗箇が向き合うイラストを山田さんが描き下ろしてくれ、和風堂の広報にとても役立った。今や「へうげもの」で宗箇をイメージする方は多いと思う。大いに宗箇の「顔」を広めてくれましたね。
(2021年9月11日朝刊掲載)
『生きて』 宗箇流16代家元 上田宗冏さん(1945年~) <1> 武家の茶
『生きて』 宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <2> 幼少期
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <3> タカノ橋商店街
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <4> 同級生
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <5> 大学時代
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <6> 銀行員から転身
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <7> 和風堂復元
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <8> 三つの展覧会
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <9> 老師との出会い
『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <11> 宗篁若宗匠