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連載・特集

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <8> 三つの展覧会

華やかな武家茶伝える

  ≪流祖上田宗箇の没後350年に当たる2000年、広島県立美術館(広島市中区)は「秀吉・織部と上田宗箇展」を開催する≫

 県立美術館が企画する巡回展として大阪と東京にも出展するなど、村上勇学芸課長(当時)を中心にとても力を入れていただいた。桃山時代のお茶といえば千利休が真っ先に思い付くが、あえて豊臣秀吉をタイトルにした。村上さんの発案で大正解。わび、さびばかりでない、華やかな桃山の武家茶のイメージが伝わる。広島で4万人、計12万人超を集めたのは題の良さもあると思うよ。

 広島では会場に宗箇の茶室遠鐘(えんしょう)を再現した。遠鐘から続く「鎖の間」や「次の間」なども造り、屋敷内を巡りながらもてなしを重ねる武家茶独特のみやびさを視覚的に表現できた。実物のインパクトはすごいね。御成(主君の来訪)の接待と結び付いた武家茶の在り方を示す上でこれ以上の仕掛けはない。

 このときの感動があって、05年から3年かけ江戸時代の上田家上屋敷の構成をそっくり和風堂(西区)に再現するという一大事業に踏み切れた。1982年完成の遠鐘などと合わせてできた「上屋敷」は何度か特別公開として開放している。上田流や日本の伝統文化を体験として感じられる貴重な「ガラスケースのない博物館」だ。

 ≪12年、ひろしま美術館(中区)で宗箇の茶道具などを紹介する「武将茶人の世界展」を開く≫

 このときは広島に先立って東京・銀座の百貨店松屋に出展した。広島の物産展を併設してみたところ大盛況。後に聞いた話では、県の幹部たちが盛り上がりぶりを見てアンテナショップ「TAU(タウ)」(同年銀座にオープン)の成功を確信したとか。

 県人会を核に後援会「東京遠鐘クラブ」ができるなど大勢の支援をいただいた。広島の文化を盛り上げる機運が熟してきたと心強かったね。

 ≪14年には奥田元宋・小由女美術館(三次市)などで「古田織部展」が催された≫

 三つの展覧会を通じ強調したかったのは、上田流が桃山の織部の茶を色濃く継承する流儀だということ。織部展でそれを示す古文書類を多く並べたこともあり、お茶の世界でも広く認識されるようになりました。

(2021年9月9日朝刊掲載)

『生きて』 宗箇流16代家元 上田宗冏さん(1945年~) <1> 武家の茶

『生きて』 宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <2> 幼少期

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <3> タカノ橋商店街

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <4> 同級生

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <5> 大学時代

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <6> 銀行員から転身

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <7> 和風堂復元

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <9> 老師との出会い

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <10> へうげもの

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <11> 宗篁若宗匠

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