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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <1> 本通りの惨状 岸田貢宜さん撮影

 広島の被爆の惨禍を記録した原爆写真はこれまでも、原爆展や写真集で紹介され、被爆の惨状と核兵器の非人道性を国内外に伝えてきた。自らの体験を証言してきた被爆者が高齢化し減少する中、その役割は増していく。原爆の被災者によって撮られた原爆写真は何を今に伝えるのか。代表的な写真や埋もれていたカットの撮影者の手記を読み直し、遺族に問い掛け、その意味を見つめ直す。

「地獄」 死傷者は撮れず

祖父の構図 思い重ね

 1945年8月7日。広島市有数の繁華街の本通り商店街(現中区)は前日の原爆投下で壊滅し、火災の余燼(よじん)がくすぶっていた。岸田貢宜(みつぎ)さんは自宅兼写真館の跡辺りでカメラを手にした。爆心地から約500メートル南東。周囲に広がる焼け跡はまだ熱っぽかった。

 当時29歳。6日にも本通りに入った岸田さんは当時の惨状を書簡にこう書き記した。「この世の地獄。うめき、苦しみ、助けを求める人達…」。どうしてもシャッターを切れなかった6日から一夜明け、葛藤の末に自宅跡付近から写真を撮った。被爆後の市中心街を最も早く収めた原爆写真とされる。

 岸田さんは42年、本通りで写真館を創業。戦争が激化する中、広島城に置かれた旧陸軍の中国軍管区司令部報道班員を務めていた。

 45年8月6日朝は、軍の任務で吉田町(現安芸高田市)に出張中。立ち上る雲を目撃し広島へ向かったが、列車は広島方面が大火災のため戸坂駅(現東区)で停車。岸田さんは、市郊外へ逃れる負傷者をかき分けるように歩き続け、中心部へ入った。

戦意低下を懸念

 カメラを提げていたが、「写真を写すどころか一パイの水をのますのが精一パイ」(書簡)。本通りの一角の防火水槽の周りに死傷者がおり、漬かっていた1人の女性を助け上げた。痛々しい姿の死傷者を撮るのは、つらい。軍の報道班員として悲惨な場面を撮って戦意を低下させてはならない―。撮影をしなかった心中を後にそう証言した。

 しかし翌日、「未曾有の被害状況を後世に残さねばならない」と意を決す。本通りに加え、福屋百貨店の非常階段から焼け跡を見渡すカットなどを撮影した。ただ、死傷者の顔が見えるようなアップは最後まで撮らなかった。

 自身も13日ごろから高熱に襲われ、数カ月にわたり療養した。その後、本通りで写真館を再建。78年に元中国新聞カメラマンの故松重美人さんらと「広島原爆被災撮影者の会」を結成し、写真集「広島壊滅のとき」を81年に発刊した。その6年後、71歳で死去した。

 長年、銀行の貸金庫で保管されてきたネガ30枚は2018年、原爆資料館(中区)に寄贈された。孫の哲平さん(44)=東京都杉並区=が、祖父の店を継いだ父とともに「記憶の継承に役立ててほしい」と託した。

 哲平さんは東京で20年以上ライブカメラマンとして活動し、桑田佳祐さんらの公演を撮ってきた。小学4年の時に亡くなった祖父から、撮影時の話を直接聞いたことはない。「やさしい思い出ばかりのおじいちゃんが、あの状況でどんな気持ちで撮ったのか。できることなら聞きたい」。年々そんな思いが募っている。

「逆戻り」避けて

 きっかけの一つは11年の東日本大震災だ。「おじいちゃんの写真と今を見比べれば、困難からでも復興できる人間の力を感じてもらえるのでは」。そう思い立って13年に祖父と同じ福屋からの構図で都心のパノラマを撮った。19年8月にも、写真館があった本通りで同じ構図で撮影。広島県の会員制交流サイト(SNS)「日刊わしら」で発信した。

 祖父と孫が同じ場所で撮った全く異なる街の光景。見比べ、復興だけではなく避けなければならない未来を想像してほしいと願う。「もし戦争が起き、原爆が使われれば、僕が撮ったような日常から、おじいちゃんが撮った惨状に逆戻りする」と。(水川恭輔)

(2021年12月5日朝刊掲載)

[ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す] 「原爆写真」212枚寄贈



ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <2> 目前の原子雲 深田敏夫さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <3> 似島検疫所 尾糠政美さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <4> 現中電本社から 岸本吉太さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <5> 壊滅した広島城 谷原好男さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <6> 地方気象台 北勲さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <7> 職場への道 野田功さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <8> 破壊された店舗 井上直通さん 林寿麿さん 撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <9> 防火壁前の親子 石川新蔵さん撮影

ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す 原爆被災写真 <10> 8月6日の市民 松重美人さん撮影

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