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連載・特集

『生きて』 宗箇流16代家元 上田宗冏さん(1945年~) <1> 武家の茶

桃山時代の流儀継ぐ

 茶道上田宗箇(そうこ)流の16代家元上田宗冏(そうけい)さん(76)。広島市西区古江東町の上田流和風堂を拠点に、武将茶人上田宗箇(1563~1650年)を祖とする桃山時代以来の武家茶道の流儀を守り伝えてきた。原爆で大打撃を受けた上田流、そして地元広島の文化の復興・発展に熱意を傾け、今なお精力的に活動を続けている。

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 毎朝起きたら茶室「安閑亭」で一人、濃茶をいただくのを日課にしています。和風堂内でも奥の方にあって静か。水屋には先代(養父で伯父の宗源15代家元)が筆を執った額が掛かっている。それを拝むと心がすうっと落ち着いて清らかな気分になる。宗箇は70歳で隠居して茶の湯ざんまいの生活を送ったけど、僕はまだ社会の喧騒(けんそう)の中にいるからね。こういう時間を大切にしたいんだ。

  ≪宗箇は丹羽(にわ)長秀、豊臣秀吉に仕え、江戸時代には旧広島藩主浅野家の家老として重きをなした。茶人としては千利休、古田織部ら当代きっての宗匠の一人に数えられる≫

 上田流は原爆の日の追悼献茶など広島とともに歩み、地元に根差し支えられながら活動をしている。一方、その流儀の根っこにあるのは利休、織部であり、日本文化史上で最も輝いた桃山時代の文化だ。織部に心酔した宗箇は、装飾性を排した利休、荒々しい誇張を好んだ織部の双方の良さを取り込んで独自の美に昇華していった。上田流はそうした普遍性に価値が宿っている。

 うちは宗箇以来の上田家が家元として継承する貴重な武家茶道。だからこそ、よく「りんとした」と形容される独特な空気を大切にする。継承する上で経済的な側面は大切だが、お茶が生業(なりわい)になってはいけない。「武家」と「茶家」の両面があり、より大事なのは「武家」の精神。堅苦しくなる必要はないものの、守るべき一線と考えている。

 目まぐるしく移ろう現代の社会。宗篁(そうこう)(長男で若宗匠)やその後の世代でも上田流が存続できているか心配ではある。でも彼らの時代は彼らの工夫で切り開いていってもらいたい。(この連載は報道センター社会担当・城戸良彰が担当します)

(2021年8月31日朝刊掲載)

『生きて』 宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <2> 幼少期

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <3> タカノ橋商店街

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <4> 同級生

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <5> 大学時代

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <6> 銀行員から転身

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <7> 和風堂復元

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <8> 三つの展覧会

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <9> 老師との出会い

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <10> へうげもの

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <11> 宗篁若宗匠

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