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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <1> 御誓文と木戸

開明的「全て公論で決定」

 木戸神社は山口市糸米(いとよね)の山すそにこぢんまりと鎮座していた。幕末維新を長州藩リーダーとして駆け抜けた木戸孝允(たかよし)を祭り、地元では「きどさま」と呼ぶ。コロナ禍前の春祭りでは文武両道だった木戸にちなむ少年剣道大会や子ども相撲が催されてきた。

 木戸は明治10(1877)年に45歳で臨終の際、この地にあった邸宅と山林を糸米村民に寄付して子弟の学費に充てるよう遺言した。感謝した村人たちが明治11(78)年にほこらを建てたのがはじまりという。

 外敵を打ち払う攘夷(じょうい)を藩論に定めた長州藩は文久3(63)年、海からの砲撃に無防備な萩から山口に藩庁を移す。木戸は慶応2(66)年から2年間、松子夫人と糸米に住み、馬で藩庁に通った。維新後も帰省先にしていた。

 明治4(71)年1月10日、薩摩の大久保利通と西郷隆盛が木戸邸に赴いた。「二氏が余に土州への同行を請う」と木戸の日記にある。「維新三傑」の相談ごとは薩長土3藩の兵を上京させる段取りだった。3人は土佐で板垣退助と会って親兵8千人の配置が実現する。同年7月に廃藩置県を断行する環境が整った。

 木戸が土佐に向け家をたった1月15日の日記に「糸米の農民が残らず来て余を送る」とある。「家を離れて飛び回っても、ここは木戸公の安息の地だったのだろう」と神社総代の一人である塩見興一郎さん(81)は推し量る。

 桂小五郎と名乗っていた元治元(64)年の禁門の変後、京都の潜伏先へにぎり飯を運んだ芸妓(げいぎ)時代の逸話がある松子夫人も村人と交わったようだ。にぎり飯主体の「松子弁当」を春祭りで配る習わしがある。

 木戸は長州を代表して明治新政府の要職に就き、大久保と共に明治2(69)年の版籍奉還や廃藩置県を主導した。上からの中央集権化だけでなく、慶応4(68)年3月に発布された五箇条御誓文の最終起草者としても歴史に名を残した。

 当時15歳の明治天皇や公卿(くぎょう)、諸侯らが神明に誓った御誓文の第一項に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とある。全て(万機)を公共の議論(公論)で決めるのは民主主義の手法である。

 封建の幕藩体制が終わり、天皇を頂点に据えた薩長藩閥政治へ移行する前の空白期に、ポンと突き出た独立峰のような「国是」である。後に自由民権の運動家がことあるごとに主張の根拠として挙げた。

 時代は下り、太平洋戦争敗戦の翌1946年元旦に出された新日本建設に関する詔書は冒頭に五箇条御誓文を掲げた。連合国軍総司令部(GHQ)指令で矢継ぎ早に民主化が進んでいたころである。

 原案にない御誓文を加えた昭和天皇は「民主主義を採用したのは明治大帝のおぼしめしである。五箇条御誓文がもとになって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要があった」と後に語った。

 開明さは今も古びない五箇条御誓文だが、起草時の木戸は公論の信奉者ではなかった。その半年前、倒幕出兵の相談で大久保に「玉(ぎょく)(天皇を意味する隠語)を奪われては致し方ない」と年若き天皇の守護を念押しする用心深きリアリストだった。

 御誓文の価値を木戸自身が自覚したのは発布の4年後で、そこから立憲政治の導入を目指すが志半ばに終わる。開明的な御誓文起草という歴史の場面にたまたま立ち会い、後に再発見したとも言える。

 維新の策源地ならではと言うべきか。山口県内には幕末維新期に大きな足跡を残した人物をまつる神社がほかにも三つ創建されている。

 吉田松陰が教えた松下村塾の地に松陰神社(萩市椿東)が、大村益次郎の古里に大村神社(山口市鋳銭司)があり、老朽化して今は姿をとどめないが伊藤博文の生地(光市束荷)に伊藤神社が建てられた。

 この3人にはそれぞれの生涯や業績をたどる展示施設が神社内外や跡地近くにある。「なぜか木戸公にはそんな施設がないんです」と塩見さんはいぶかしがった。

 曲折に富んだ木戸の行動や考え方の変遷を追うことから、私たちの民主主義の源流をたどってみよう。

    ◇

 明治維新(1868年)から太平洋戦争敗戦(1945年)までの77年間が日本の近代である。封建の世の後に「民主」を求めた人々の営みや戦争の連続から破局になだれ込んだ歴史は、今を生きる私たちに何を語りかけるのか。敗戦からの歩みが近代と同じ長さとなる2022年を前に、中国地方を主な舞台に新たな光を当ててみる。(特別編集委員・山城滋)

木戸孝允
 1833~77年。萩の藩医の家に生まれ、藩士桂家の養子桂小五郎となる。江戸で洋式兵法や造船術を学び、時流に敏感な働きで頭角を現す。禁門の変後に但馬・出石に潜伏し、抗幕派が藩政権を握ってから帰藩。軍制改革や薩長同盟締結など藩政を主導した。

(2021年11月23日朝刊珪掲載)

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <2> 外圧と公論

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <3> 御誓文の起草

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <4> 国是の空文化

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <5> 立憲の模索

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <6> 公論の器

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <7> 粟根村から

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <8> 小田県第6大区会

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <9> 地方官会議

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <10> 弾圧と撤退

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <11> 地租改正

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <12> 公選制の県会

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <13> 県議の奔走

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <14> 通俗日本国会新論

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