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原爆記録写真

写真で知る原爆

1945年8月6日午前8時15分、米軍が投下した原爆は広島市上空600メートルでさく裂し、街は壊滅した。無差別殺傷兵器の名の通り、おびただしい人数の市民が犠牲になった。たった一発の原爆が何をもたらしたのか―。その無言の「証言者」が、被爆後の市内を捉えた写真の数々である。広島、長崎で調査団や軍関係者、一般市民が惨状をカメラに収めていた。2021年4月には元中国新聞社カメラマン松重美人さん(1913~2005年)撮影の写真ネガフィルム5点が、きのこ雲の下の市民を被爆当日に記録した唯一の現存写真として、広島市の重要有形文化財に指定された。原爆被災写真のネガが市の文化財に指定されるのは初めてのことだった。

21年7月29日
松重美人さんの撮影ネガ
21年4月26日
芸備銀行本店「戦災写真帖」
21年3月29日
子や孫へ 継承に生かして 故松重さんのネガ 広島市重文に 遺族 保存環境向上に期待
21年3月29日
被爆当日ネガ 市重文に 元本社カメラマン松重美人さん撮影の5点 広島市教委、初指定
21年3月29日
1945年8月6日 松重美人さんのネガフィルム5点 広島市文化財指定 人間の惨禍を記録
21年3月29日
あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <下> 生きている資料
21年3月29日
あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <中> 劣化の危機
21年3月29日
あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <上> 唯一の記録
20年12月7日
被爆前の羽田別荘や少女歌劇団「羽田歌劇」の公演などを捉えた写真
20年3月22日
広島市鉄砲町(現中区)で戦前、松浦泰次郎氏(1872-1953)が経営していた缶詰工場や邸宅の写真。
19年12月16日
米ロサンゼルスで松本若次さんの企画展開催へ 2021年に全米日系人博物館
16年8月3日
被爆直後 パノラマ現存 原医研 鮮明プリント所蔵 45年8・9月 国内外紙で一部分掲載
14年10月13日
伝えるヒロシマ ⑨ 寄せられた記録 軍都の8・6が浮かぶ
14年8月14日
伝えるヒロシマ ⑦ 原爆記録写真 務め…葛藤のシャッター
12年1月5日
被爆5年後 復興絵はがき 広島市内で見つかる
11年6月15日
ヒロシマの記録 原爆被災写真
11年6月13日
ヒロシマの記録 原爆調査写真
11年6月12日
ヒロシマの記録 核時代を刻む
11年6月11日
ヒロシマの記録 海軍原爆調査団の軌跡
11年6月11日
ヒロシマの記録 埋もれていた同盟の報道写真
11年6月11日
被爆前の広島よみがえる 松本さん撮影の2000枚発見
11年5月27日
ヒロシマの記録 原爆・平和写真データベース化 貴重な「記憶」次代へ
11年5月27日
ヒロシマの記録 佐々木雄一郎が撮った原爆ドーム
11年5月27日
菊池俊吉が撮った原爆写真Ⅲ
11年5月27日
菊池俊吉が撮った原爆写真Ⅱ
11年5月27日
菊池俊吉が撮った原爆写真Ⅰ
11年5月26日
復興期の広島 パノラマネガ発見 被爆から2年 菊池俊吉さん撮影
11年4月14日
ヒロシマの記録 被爆からの復興
11年4月4日
ヒロシマの記録 消えた「原爆十景」追う
11年4月2日
ヒロシマの記録 被災写真を見る 全壊全焼の境界くっきり
11年4月1日
被爆直後のヒロシマ 写真で見る惨状の記録 「物体」編
11年4月1日
被爆直後のヒロシマ 写真で見る惨状の記録 「人」編
08年1月3日
ヒロシマの記録 原爆写真の撮影者たち 惨状刻む「無言の証言」
08年1月3日
原爆写真 57人が2571枚 1945年8月6日-年末に撮影 資料館、1819枚保存