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被爆地広島 地元紙の原爆平和記事

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  • ヒロシマの空白 未完の裁き <10> 原爆投下の鑑定

    24年5月2日 連載・特集

    国申請の法学者も「違法」  「原爆裁判」の核心は、日本の裁判所が普段は扱わない国際法の評価だった。東京地裁は提訴から5年の1960年に口頭弁論を始めると、国際法学者3人から鑑定書を出してもらった。1人は原告、2人は被告の国の申請で選ばれた。 無差別攻撃指摘  最も重要な鑑定事項は広島、長崎への原爆投下が国際法違反に当たるか否かだった。3人がそれぞれ鑑定書を書いた。...

  • 24年5月2日 連載・特集

    緑地帯 平野薫 ものの声⑦

     今、私は広島県安芸太田町の戸河内の空き家を借りて住んでいる。田舎の広い家は、美術作家にはいいスタジオになる。庭には小さな畑もある。この辺りにはあちこちに田んぼ...

  • 24年5月1日 連載・特集

    ヒロシマの空白 未完の裁き <9> 法廷の被爆国

    原爆肯定の主張を展開  「原爆裁判」の訴えが東京地裁と大阪地裁(後に東京に併合)に起こされてから約半年後の1955年10月。原告の被害者5人が、原爆投下は...

  • 24年5月1日 連載・特集

    緑地帯 平野薫 ものの声⑥

     私の祖母は、大正10年、長崎県生まれ、戦争を体験した世代だ。きのこ雲を見たと一度だけ聞いたが、戦争の話はほとんど聞いたことがない。その祖母が、2018年に他界...

  • 24年4月30日 連載・特集

    ヒロシマの空白 未完の裁き <8> シモダ・ケース

    家族12人失った原告も  被害者5人が原爆投下を国際法違反と訴え、米国への賠償請求権を放棄した日本政府に補償を求めた「原爆裁判」。海外では「シモダ・ケ...

  • 24年4月30日 連載・特集

    緑地帯 平野薫 ものの声⑤

     2017年、ドイツの紡績工場跡の博物館で展示をした翌年、私はゲルゼンキルヘンという街のクンストフェラインのグループ展に参加した。クンストフェラインとは、古くは...

  • 24年4月30日 連載・特集

    2024FF 祭典の力 <下> 平和を願って

    戦火 被爆地で思い共有  広島市中心部で5月3~5日に開かれるひろしまフラワーフェスティバル(FF)への出展は、前身の団体も合わせると20回以上になる...

  • [歩く 聞く 考える] 論説委員 田原直樹 ハンセン病元患者の絵

    24年5月2日 社説・コラム

    自分の差別意識 画面に問う  長島愛生園(瀬戸内市)から同じ国立ハンセン病療養所である多磨全生園(ぜんしょうえん)(東京都東村山市)へ、ある入所者が55年前に転園した。  長浜清さん(1928年ごろ~71年)という。20歳前後で長島愛生園に入所し、絵や詩を創作して園内誌「愛生」に発表していた。転園理由は絵を学ぶため。多磨全生園は絵画活動が盛んとの評判を耳にしたのだろう。  隔離政...

  • 24年5月1日 社説・コラム

    朝凪(あさなぎ) 平和の歌声 聞きに来て

     平和大通りなどで開かれる「2024ひろしまフラワーフェスティバル」初日の3日、中国新聞ジュニアライターの中高生がステージ発表をする。会場一帯に立つ原爆慰霊碑や...

  • 24年4月27日 社説・コラム

    『潮流』 石川真生さん

    ■論説委員 石丸賢  彼女の名前を意識したのは、自宅で取り寄せていた地方紙「沖縄タイムス」の紙面だった。  手元に記事の切り抜きがある。30年前...

  • 24年4月27日 社説・コラム

    天風録 『二つのパリ五輪』

     心には希望、かかとには翼―。昔の英国映画、「炎のランナー」のせりふを思い返す。1924年のパリ五輪で躍動した英陸上選手団を回想する言葉だ。合宿練習で海辺を駆け...

  • 24年4月26日 社説・コラム

    『想』 山内若菜(やまうちわかな) 小さな声 命の発露

     絵の始まりは、自分を含めた最も小さな声、命の発露―。個展会場でのトークを、そんな言葉で切り出しました。  旧日本銀行広島支店(広島市中区)で3月末に6日...

  • 24年4月26日 社説・コラム

    『この人』 第14代原爆資料館長に就任した 石田芳文(いしだよしふみ)さん

     来年の被爆80年を前に、この春、広島市を退職して原爆資料館長に就いた。平和行政を経験し、被爆者や市民の核兵器廃絶への強い思いを知るだけに「役割の大きさをひしひ...

  • 24年4月25日 社説・コラム

    天風録 『民主主義の合言葉』

     アジア人初のノーベル賞を1913年に受けた3年後、インドの詩人タゴールは初めて日本の土を踏む。倉敷市生まれの詩人、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の随筆にある。...

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  • まんが 被爆地の新聞社
  • 被爆75年プロジェクト 原爆ドームの3Dデータ
  • 1945 原爆と中国新聞
  • ヒロシマの空白 被爆75年
  • 平和記念公園を歩く

証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 田丸芳嗣さん―惨状や臭い トラウマに
『記憶を受け継ぐ』 畑口実さん―消えぬ憎しみ超え語る
『記憶を受け継ぐ』 近藤康子さん―4歳で歩いた焦土の街
『記憶を受け継ぐ』 裵昭子(ペソジャ)さん―奪われた父 消えぬ思慕
『記憶を受け継ぐ』 山瀬潤子さん―友に触発され証言者に
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ジュニアライター発信

中国新聞ジュニアライターの中高生

[ジュニアライターがゆく] 原爆と平和大通り <上>

 広島市中区の平和大通り一帯などで5月3~5日、2024ひろしまフラワーフェスティバル(FF)が開かれます。平和大通りは、幅の広さから別名「100メートル道路」。戦時中、空襲(くうしゅう)による延焼(えんしょう)を防ぐため建物を壊(こわ)し、空き地や道路をつくった「建物疎開(たてものそかい)」の名残(なごり)でもあります。この作業に出ていた多くの子どもたちが、原爆の犠牲(ぎせい)となりました。中国

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動画で平和発信

UNRWAが支援するスープキッチン(炊き出し)が数千人を支えている(ハンユニス、1月24日)

 (英文字幕の和訳)避難民モハメド「私たちは若いボランティアです。人々は食べる物飲む物が必要です。その必要量は支援機関がハンユニスで用意できる規模を超えています。私はガザ市から逃れてきました。避難から2日後、何人かの若者の間で、食に関する活動ができると考えました。最初は鍋4つから始めました。今日は40~50個の鍋でハンユニスの避難民約7万人分を賄います。7万から8万の避難民の食事を用意します。設備...

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遺品 無言の証人

木製部分が焼け落ち、金属部分が残ったゴルフセット。1962年、森弘さんが原爆資料館に託した(撮影・山田尚弘)

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学ぼうヒロシマ
平和学習新聞

2022年度改訂版