×

被爆地広島 地元紙の原爆平和記事

  • すべて
  • ニュース
  • 連載・特集
  • 社説・コラム
  • 原爆資料館長に石田氏 広島

    24年3月28日 ニュース

     広島平和文化センター(広島市中区)が、管理運営する原爆資料館の第14代館長に市議会事務局長の石田芳文氏(60)を起用することが27日、分かった。今月末で退く滝川卓男館長(65)の後任として4月1日付で就く。  石田氏は安佐南区出身で1986年に市職員。2011年4月から14年3月まで被爆体験継承担当課長を務め、被爆者の記憶を語り継ぐ「伝承者」養成事業や、原爆資料館のリニューアル事業に携わっ...

  • 24年3月28日 ニュース

    呉→長崎 平和願うカヌー 倉橋町を出発 中継地で交流

     カヌーをこぎ継いで呉市から長崎県を目指す平和イベントの出発式が27日、同市倉橋町の桂浜海岸であった。約2週間かけて各地のカヌー愛好家たちと交流しながら、平和へ...

  • 24年3月28日 連載・特集

    緑地帯 若狭邦男 私と大江コレクション③

     大江健三郎氏の小説「セヴンティーン」には、逸話が多い。配本中の文学シリーズの収録作として私が読んだのは1966年だが、初出は文芸誌「文学界」の61年1月号。2...

  • 24年3月28日 社説・コラム

    『潮流』 WAR IS OVER!

    ■報道センター文化担当部長 道面雅量  ベトナム戦争のさなか、1969年のクリスマスの頃。現代美術家オノ・ヨーコさんは夫のジョン・レノン(80年死去)と連...

  • 24年3月28日 ニュース

    フェンスやトイレ設置協議 本川小平和資料館巡る検討会議

     原爆資料館(広島市中区)の付属展示施設として2026年11月にリニューアルオープンを予定する本川小平和資料館(同)を巡り、市は27日、関係者に施設整備や展示方...

  • 24年3月28日 ニュース

    紀香さんが見た戦争の傷 アフガンなどで子ども撮影 福山 チャリティー写真展

     俳優の藤原紀香さんがアフガニスタンやカンボジアで撮影した子どもたちの写真を展示するチャリティー活動「Smile please」が27日、福山市元町の天満屋福山...

  • 24年3月28日 ニュース

    真珠湾への市民派遣 「事業透明化を」 広島市に要望書 広島県被団協講師団

     広島市が計画している米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園への市民派遣で、広島県被団協(佐久間邦彦理事長)の平和学習講師団は27日、市に事業の透明化を求める要...

ピックアップ

  • デジタルストーリーテリング
  • ヒロシマの声
  • 広島サミット
  • 広島サミット特別紙面
  • 広島の空白-街並み再現-
  • 被爆前の広島
  • まんが 被爆地の新聞社
  • 被爆75年プロジェクト 原爆ドームの3Dデータ
  • 1945 原爆と中国新聞
  • ヒロシマの空白 被爆75年
  • 平和記念公園を歩く

証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 畑口実さん―消えぬ憎しみ超え語る
『記憶を受け継ぐ』 近藤康子さん―4歳で歩いた焦土の街
『記憶を受け継ぐ』 裵昭子(ペソジャ)さん―奪われた父 消えぬ思慕
『記憶を受け継ぐ』 山瀬潤子さん―友に触発され証言者に
『記憶を受け継ぐ』 本保幸雄さん―原爆 戦後の人生も翻弄
記事一覧

ジュニアライター発信

中国新聞ジュニアライターの中高生

[ジュニアライターがゆく] 広島アジア大会30年 安佐公民館×カタール

「一館一国」交流 今も  広島市を中心に1994年に開かれた「広島アジア競技大会」から今年で30年です。42の国と地域の選手たちが参加。初の地方都市、しかも被爆地での開催(かいさい)として注目されました。準備段階(じゅんびだんかい)から、市内の公民館が、参加国・地域の担当を決めて応援した「一館一国運動(いっかんいっこくうんどう)」に取り組み、多様な文化や伝統への理解を深めたそうです。過去の戦

記事一覧

動画で平和発信

UNRWAが支援するスープキッチン(炊き出し)が数千人を支えている(ハンユニス、1月24日)

 (英文字幕の和訳)避難民モハメド「私たちは若いボランティアです。人々は食べる物飲む物が必要です。その必要量は支援機関がハンユニスで用意できる規模を超えています。私はガザ市から逃れてきました。避難から2日後、何人かの若者の間で、食に関する活動ができると考えました。最初は鍋4つから始めました。今日は40~50個の鍋でハンユニスの避難民約7万人分を賄います。7万から8万の避難民の食事を用意します。設備...

動画一覧

遺品 無言の証人

木製部分が焼け落ち、金属部分が残ったゴルフセット。1962年、森弘さんが原爆資料館に託した(撮影・山田尚弘)

記事一覧

学ぼうヒロシマ
平和学習新聞

2022年度改訂版