被爆地広島 地元紙の原爆平和記事
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[ヒロシマドキュメント 1946年] 7月4日 教え子への挽歌540首に
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25年7月4日 ニュース
死亡 清水弘士さん
清水弘士さん(しみず・ひろし=元広島県被団協事務局長)2日、誤えん性肺炎のため広島市中区の病院で死去、83歳。広島市中区出身。自宅は広島市東区。葬儀は近親者で...
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25年7月4日
連載・特集
緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間⑤
渡米し、旅を始めた当初は全くといっていいほど写真を撮っていなかった。カメラはタオルにくるみ、車のトランクの奥底に放り込んでいた。 2カ月がたった頃、私はグ...
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25年7月4日 ニュース
米の首席公使が広島市長を訪問 若者交流深化で一致
在日米国大使館のアーロン・スナイプ首席公使が2日、広島市役所を訪れ、松井一実市長と面会した。米国と広島の若者が交流を深める重要性を確認した。 松井市長は、...
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25年7月4日 ニュース
[戦後80年 備後] 福山空襲「地獄のよう」 近大付中福山 体験の91歳特別授業
福山市街地が焦土と化した福山空襲について学ぶ特別授業が、同市佐波町の近畿大付属広島中福山校であった。当時、国民学校6年生だった近藤茂久さん(91)=同市古野上...
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25年7月4日 ニュース
[被爆80年] 核禁条約会議への参加を 8・6要望で広島の被爆者7団体 原爆孤児たちの援護も
被爆80年の原爆の日に向け、二つの広島県被団協など広島の被爆者7団体は3日、政府への要望書をまとめた。核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加や、原爆孤...
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25年7月4日 ニュース
原爆慰霊碑に候補者ら続々 核廃絶誓い選挙戦開始
参院選が公示された3日、広島選挙区の立候補者たちが広島市中区の平和記念公園を相次ぎ訪れ、原爆慰霊碑へ花を手向けた。被爆80年の節目に、核兵器廃絶への歩みを誓い...
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[ヒロシマドキュメント 1946年] 7月4日 教え子への挽歌540首に
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25年7月4日 ニュース
死亡 清水弘士さん
清水弘士さん(しみず・ひろし=元広島県被団協事務局長)2日、誤えん性肺炎のため広島市中区の病院で死去、83歳。広島市中区出身。自宅は広島市東区。葬儀は近親者で...
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25年7月4日 ニュース
米の首席公使が広島市長を訪問 若者交流深化で一致
在日米国大使館のアーロン・スナイプ首席公使が2日、広島市役所を訪れ、松井一実市長と面会した。米国と広島の若者が交流を深める重要性を確認した。 松井市長は、...
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25年7月4日 ニュース
[戦後80年 備後] 福山空襲「地獄のよう」 近大付中福山 体験の91歳特別授業
福山市街地が焦土と化した福山空襲について学ぶ特別授業が、同市佐波町の近畿大付属広島中福山校であった。当時、国民学校6年生だった近藤茂久さん(91)=同市古野上...
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25年7月4日 ニュース
[被爆80年] 核禁条約会議への参加を 8・6要望で広島の被爆者7団体 原爆孤児たちの援護も
被爆80年の原爆の日に向け、二つの広島県被団協など広島の被爆者7団体は3日、政府への要望書をまとめた。核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加や、原爆孤...
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25年7月4日 ニュース
原爆慰霊碑に候補者ら続々 核廃絶誓い選挙戦開始
参院選が公示された3日、広島選挙区の立候補者たちが広島市中区の平和記念公園を相次ぎ訪れ、原爆慰霊碑へ花を手向けた。被爆80年の節目に、核兵器廃絶への歩みを誓い...
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25年7月3日 ニュース
核被害 映画祭で考える 13~16日 広島
核被害などをテーマにした映画祭「GO GREENフィルムフェスティバル」が13~16日、広島市中区のJMSアステールプラザ市民ギャラリーである。映画監督の伊東...
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原爆資料 継承するために 広島で19日 国際シンポ「未来への記憶の遺産」
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25年7月4日
連載・特集
緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間⑤
渡米し、旅を始めた当初は全くといっていいほど写真を撮っていなかった。カメラはタオルにくるみ、車のトランクの奥底に放り込んでいた。 2カ月がたった頃、私はグ...
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25年7月2日
連載・特集
緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間④
私は牛乳が飲めない。好き嫌いの話ではなく、とある幼時体験がもとで飲めなくなったのだ。あれは昭和40年代初頭、私がまだ5歳くらいの頃のこと。広島駅前の売店でジュ...
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25年7月1日
連載・特集
緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間③
東京タワーで展示した原爆と平和をモチーフにした作品の後日談。この二つの作品を缶バッジにして、売り上げは全て日本ユニセフ協会に寄付する「寄付ガチャ」にしませんか...
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25年6月29日 連載・特集
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1945.8.6~2025 核兵器の惨禍 人類の世界史に
「このような記録は、私たちの写真が永遠に最後であるように」 広島の被爆と、そこからの市民の歩みを追った「ヒロシマ ドキュメント」。昨年8月から4編計35...
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25年6月25日
連載・特集
緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間②
生まれ育った広島の街を舞台に描いたこわい絵本「あっちがわ」の展示会を、一昨年から2度ほど東京タワーで開催した。1度目は原画をメインに、2度目は新作を紙芝居にし...
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25年6月24日 連載・特集
戦後80年 芸南賀茂 工廠の学徒たち <上> 兵器生産 青春犠牲に
戦時中、呉市には、戦艦や戦闘機などを造る工場が集まっていた。男性たちが戦地に赴き、労働力不足を補うために1944年から、10代の子どもが呉や広の海軍工廠(こう...
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[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 時間差あり揺れる表記 長崎は変更
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25年7月2日
社説・コラム
朝凪(あさなぎ) 高層ビル 壁に残る証し
あと1カ月と1日。広電の新路線が動き出すと、広島駅前はいっそうにぎやかになる。かつてBブロックと呼ばれた再開発エリアの高層ビルの壁面にガラスケースに収められた...
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25年7月1日
社説・コラム
天風録 『呉空襲80年』
八幡さんと呼ばれ、市民に親しまれる。呉の総氏神、亀山神社は令和の大修繕で一つ工夫した。あの夜、米軍の焼夷(しょうい)弾が落ちて傷痕が残ったこま犬の台座を保存し...
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25年6月27日
社説・コラム
社説 米大統領の発言 核使用の結末を直視せよ
核が人類に何をもたらすのか、いまだ想像さえできないのだろう。またしてもトランプ米大統領から、信じ難い言葉が飛び出した。 米軍によるイランの核施設攻撃がイス...
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25年6月26日
社説・コラム
天風録 『歴史的勝利とは…』
初の金メダル獲得か、弱小チームが強豪を下したか。「歴史的勝利」というと、スポーツなどの劇的な試合が思われる。敗れた方はぼうぜん自失のはず。ところが今回は双方が...
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25年6月25日 社説・コラム
[歩く 聞く 考える] 戦後80年と戦艦大和 生々しい死を抜きにできない 立命館大アジア・日本研究所専門研究員 塚原真梨佳さん
呉で生まれた旧海軍の戦艦大和が鹿児島沖で米軍に撃沈されて80年。日本敗戦を象徴した巨大艦は技術大国の礎になったとよく語られるが、日本人の戦後の大和観はさまざま...
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25年6月24日
社説・コラム
社説 沖縄戦80年 今も続く痛み 忘れまい
20万人以上の命が失われた沖縄戦は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わってからきのうで80年を迎えた。犠牲者の冥福を祈るとともに、不戦を誓い、惨禍を正しく伝えていく...
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証言 記憶を受け継ぐ
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ジュニアライター発信
中国新聞ジュニアライターの中高生
『ジュニアライター発』 朗読劇「第二県女」を見て 想像した原作者の信念


大阪のグループによる朗読劇(ろうどくげき)「広島第二県女(けんじょ)二年西組」が5月中旬(ちゅうじゅん)、広島市中区で上演(じょうえん)されました。原爆投下時に爆心地から約1キロの雑魚場(ざこば)町(現中区)で建物疎開(そかい)作業をしていた広島県立広島第二高等女学校(現皆実(みなみ)高)2年の生徒たちを追った作品です。 被爆死した生徒のうち本地文枝(ほんじふみえ)さんのエピソードが特に心に
記事一覧動画で平和発信

2025ひろしまフラワーフェスティバル 中国新聞ジュニアライターの発表
中国新聞ジュニアライターが5月3日、平和記念公園(広島市中区)のカーネーションに登場。「声で届ける平和」をテーマに、原爆詩と自分たちで作った詩を朗読し、ウクライナからの避難者や崇徳高(西区)新聞部の生徒と「アオギリのうた」を合唱した。...
動画一覧